トマトケチャップはおいしい。素晴らしい調味料です。「人類が生み出したすごい調味料10選」とかあったら確実にその中に入ると思います。甘酸塩の完璧なバランス、濃厚で自然な旨味、主役のトマトを引き立てる極めて精緻なスパイス使い、これぞ文明。

僕は食べ物の普遍的なおいしさを考える時、宇宙人(ヒューマンタイプ)とのファーストコンタクト後の歓迎会に出せるか否かで判断することがあるのですが、トマトケチャップは胸を張って安心して出せる食べ物のひとつだと思っています。

そんなトマトケチャップをなぜ自分は抜きがちなのか。ハンバーガーから抜き、ナポリタンから抜き、フライドポテトの時は無視し、ホットドッグに至っては言語道断。極めて不可解なようですが、ここには一応合理的解釈もあります。トマトケチャップはおいしすぎるのです。

おいしすぎるということは、料理全体のマズ味比率が相対的に低下するということになります。僕はそれを避けたくなるケースが多いのだと思います。例えばハンバーガーの場合、ケチャップは肉の臭みやクドさといったマズ味を消してしまう。それを好ましくなく感じてしまうのですね。

またこれにはいくつかの裏付けがあります。僕の好きなあるアメリカンダイナーでは、ハンバーガーやフライドポテトにめちゃくちゃ妙な味の自家製ケチャップが付いてきていました。ハーブやスパイスの使い方とか塩加減とかが独特すぎる謎味です。僕はこれは大歓迎でした。マズ味をむしろ増す方向の特殊ケチャップだったということです。

ちなみにこのケチャップ、よほど評判が悪かったのか、今では普通にハインツになってしまいました。そりゃそうだよな、と思いつつ残念です。

ある店のフライドポテトに添えられるケチャップには、クミンとチリが混ぜられています。安易な上にしゃらくさいな、と思いつつついつい手が伸びてしまいます。

質問者さんの「チキンライスにタバスコ」もグッと来てしまいました。

 

それはそれとして、質問者さんがケチャップを、青春・アメリカ・村上春樹ごと味わっているのは素敵です。おいしさ=味+ロマン です。そのロマンを存分に味わうことこそ食を楽しむということ。ここで大事なのはロマンの質。そこにおいても質問者さんのそれは、一貫性のある物語となっています。

先日僕はサモサを食べました。当たり前のようにケチャップが付いてきました。久しぶりのケチャップでしたが、たっぷりつけておいしくいただきました。ここだけの話ですがケチャップを追加でもらいました。

これはサモサ本体にマズ味が充分だったということもありますが、同時に、インド人やたらケチャップ大好き、という物語も一緒に味わっていたのかもしれません。

10か月

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イナダシュンスケさんの過去の回答
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