とかく独特と言われがちな名古屋の食文化がどう生まれ育まれたかということが気になって、古い郷土料理の本を入手したことがかります。戦後くらいからの、農村を中心とした聞き書きです。
それを読んでちょっと驚いたのが「これといって特徴が無い!」ということでした。特徴が無いというのはディスではありません。愛知県は日本のだいたい真ん中であり、日本の食文化の基準となる関西・関東の中間でもあります。ある意味で日本の平均値的な、極めてオーソドックスと思える料理が並んでいました。
味が濃くてインパクト強くて何でも八丁味噌で、みたいな名古屋めし的イメージは、実は結構最近になって生まれたものなのかもしれません。そう言えば歴史の古い居酒屋などで出てくる料理は、普通に典型的な関西割烹の板前料理、みたいな感じだったりします。
名古屋めし的なものは、ほとんどが「庶民の外食」として生まれてきたものだと思います。そしてそこには確かに、名古屋気質的なものが反映されているような気もします。つまり、基本的に倹約家だけど、というか倹約家であるからこそ、外食では外食らしい濃い味のものをお腹いっぱいになるまで食べたいという気持ち。
大阪の粉物や東京の蕎麦みたいに、ちょこっとしたものを粋に楽しむ都市生活者的な文化とは折り合いが悪いし、福岡みたいなアジア的屋台文化もないし。ひとたび金を出すと決めた以上は味覚的にも物量的にもそれだけで目一杯満たされなければ気が済まない、みたいな感覚で外食文化が育ったのでしょうか。
味噌煮込みうどんにもあんかけスパにも「イチニイ」「イチハン」といった量の選択肢があって、食べられる目一杯まで増量できるシステムがあり、それは愛知県発祥のココイチにも通じるものがあります。都市生活者の憩いの場であるはずの喫茶店でも、軽食の域を超えたしっかりとした食事が提供されます。愛知県民にとって外食とはそういうものでなければいけなかったのかもしれませんね。