独立した2文を1文にまとめる関係詞の役割について、ご質問ありがとうございます。決してナイーヴな質問ではありません。「脳内リソース」の考慮も1つの観点だと思います。以下、回答者が思いつく限りの観点から考察してみます。

1. 「脳内リソース」といえば認知言語学的観点です。関係詞などを媒介として2文を1文にまとめると、情報の統合と処理の効率化が図られます。ただし、結果としてまとめた文が長くなりすぎると、かえって認知的負担が大きくなる可能性があります。おそらく効率と負担の競合のなかで最適なポイントがあると予想されます。(専門外なので不案内ですが)これについては認知言語学方面での研究がありそうです。

2. 次に語用論的観点から、情報構造(談話の流れ)や主題の位置という問題が関わってきます。2文に分けることで、それぞれの情報に同等の重みを置くことができます。一方、関係詞等を使って1文にまとめると、主節の情報に重点を置きつつ、関係節で補足情報を加えるという構造、いわば「カッコで括る」構造になります。

3. 韻律的観点からは、文のリズムという側面が関与します。2文に分けると、それぞれの文に独立したイントネーションやポーズを置くことができます。1文にまとめると、「カッコで括られる」関係詞節は、素早く小声で発音される傾向が強くなります。リズムは、単なる語呂にとどまらず、文体的・修辞的効果をも発揮し、上述した主題や重点の問題とも関わってきます。

4. 今回のご質問は、人類学的・文明史的観点からもアプローチできるかもしれません。というのは、文明の発達と(関係詞文を含む)従属文の発達には関連性があるという考え方があるからです。詳しくは、私のブログ記事「#1014. 文明の発達と従属文の発達」 https://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2012-02-05-1.html を参照いただければと思いますが、複雑な社会構造や思考様式の発達に伴い、それを表現するための複雑な文構造が発達したという見解があります。これは議論のあるところですが、1つ検討するに値する論点ではないでしょうか。

5. 最後に回答者の専門である英語史的観点を付け加えておきます。関係詞を用いた従属構造は、英語史における最も古い時代(古英語)よりすでに普通に確認されます。その点では従属構造の歴史は古いと言えそうですが、印欧語史のようなさらに長いタイムスパンを念頭におけば、比較的新しい発達といえるかもしれません。もともと2つの独立した文であったものが、代名詞を媒介として1つの文に融合していったという過程があったかと推測されます。例えば、"I can swim in the river. It/That flows fast." という2文が、代名詞 "I can swim in the river that flows fast." のような1文に発展していったという過程です。関係詞そのものではありませんが、同様に従属節を導く "I think that . . ." における接続詞 that も、指示詞 that からの発展と考えられており、平行的な過程が想定されています。

他にも考えられる観点はたくさんあると思います。例えば、統語意味論的な観点から、"I want a person who can use AI." を2文に分けて "I want a person." + "He/She can use AI". と並べたとして、もとの文と同じ意味になるかといえば微妙です。ここでは先行詞の定・不定の区別が関わってきそうです。また、話し言葉と書き言葉でも関係詞使用の実態は異なると思われ、メディアというパラメータも一考に値します。さらに、従属構造の形式的側面であれば、生成文法などの統語理論で「埋め込み構造」などとして議論されています。

2文にするか1文にするかは、質問者さんの挙げられた「脳内リソース」の問題にとどまらず、様々なパラメータを念頭において考察すべき複雑な問題であることが分かったでしょうか。関係詞の使用は、認知、語用、韻律、文化、歴史など多様な要因が絡み合った論題です。言語学の観点の幅広さを楽しんでいただければと思います。

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堀田隆一さんの過去の回答
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