畑中さま、はじめまして。
私は女性向け小説を書いている新米作家です。畑違いからの相談をご容赦くださいませ。

急に心が風邪を引いてしまったように感じるのです。

現在3,4冊目の書籍化を目指して原稿を書き進めていたのですが、突然それが辛くなってしまいました。今書いているものがウケなかったらどうしようという恐れと、自分の目から見て原稿が面白いものになっているかどうか判別がつかないという、ありがちな(けれどもここ最近は罹患していなかった)症状を抱いております。
結論から申しますと、およそ半月前に愛猫が病で私の元を去ったのが、原因であるに違いないのです。愛猫が亡くなった直後は必死に執筆作業に邁進していたのに、半月経った今になって、急に無理になってしまいました。愛猫が亡くなる前はその介護に時間を取られていて、原稿があまり進まなかったのもあり、「他の作家仲間は次々と書籍化が決まっているのに、自分だけ何もできていない」といった焦燥にも襲われております。ついこの間担当編集さまに送った、ちょっとした質問を記したメールの返信がまだ来ないのも、些細なことだというのに、いやに鋭く心を突き刺します。少し前に担当さまからいただきました作品へのアドバイスも、以前は「こんなに細かくダメ出しをもらうのは初めてだ。担当さんもこの作品を良くするのに本気なのだ。これだけダメ出しをしても、逃げない人間だと思ってもらえたのだ(※兼業作家ですといつでも作家をやめれるものですから)」と前向きに解釈できていました。ところが今では、「こんな量のダメ出しをもらったってことは、この作品はなにもかもがダメってことなのでは?」とすっかり恐ろしくなってしまいました。
仮に、今書いている作品が本当になにもかもダメだったからといって、それがなんなのでしょう。ダメ出しをせっかくいただいたのですから、作品に反映して改善すればよいだけです。改善しても尚つまらない作品になったとしても、また次の作品を書くだけです。このような相談などしていないで、さっさと原稿を終わらせ、さっさと評価をもらえば、解決する話です。理性ではそのように思考します。しかし、感情はそのように思ってくれません。「この作品がダメだったら作家生命は終わりだ、担当さんのアドバイスを活かせている気がしない」と酷く悲観的なのです。

急に、このようになってしまいました。
私はこれを遅効性のストレスによるものだと考え、他人に吐露するだけでも少しは楽にならないかと、こうして不躾ながら畑中さまへの文章を綴っている次第でございます。

自らの思考の滑稽さを言語化しただけでも、メッセージを書く前よりも、ほんの少し頭の中が軽くなったように感じられます。もしこのメッセージを読んでいただけたなら、それだけで感謝です。

お手紙ありがとうございます。凄く苦しい状況だと思うのに、人として最低なことを言いますが、この文章を読んで、あなたは以前より面白い作品を書けるようになったのだろうなぁと感じてしまいました。

私は「中庸」とか「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」「バランス」などなど、「真ん中」を感じさせる言葉をこれまでもMondや質問箱で多用してきたように思います。

漫画や小説、エンタメの世界では「王道」「ど真ん中」なんて言葉もよく多用されますよね。

で、大抵の場合「なにが王道なのか」「なにが真ん中なのか」ばかりが語られがちなんですが、私はそれだと「真ん中」のことは永遠に解らないなと感じています。

めちゃくちゃ頭のいい人はともかく、私は「両論」を知らなければ、「真ん中」がどのあたりなんて探れない。

そして多くの場合、「両」つまり2つの論しかない状況などなく、もっともっと沢山の論があり、その色んな極論に思いを馳せてこそ、「王道」が浮かび上がると思っています。

以前のあなたは、担当からの指摘に対してポジティブな捉え方をしていた。

が、今のあなたは、同じ事象に対して、ネガティブな感情を抱いている。

相手が変わったのではなく、自分の捉え方一つで、世界が変わってしまうことを今実感しているわけです。

そして、実際あなたが体験したことで、両極にある考え方に同時に共感出来るようになった。

これは、作家として強いアドバンテージであり、大事な要素であることは解りますか?

これが出来るなら、違う考えの人間を描くことが出来ます。

新人作家の最初の障壁はそこです。

妙にバカでなにも考えてない主人公を立てて、脇役に作家の思ってることを言わせて、主人公は承認したり、感心したりするだけ、みたいな話を書いてしまったり…。

脇に出てくる主人公とぶつかる存在が、妙にバカで単純で、人間的深みや、その人なりの考え方がないせで、ライバルとして薄っぺらい…などなど。

自分とは相容れない感性の人間が、なぜその感性に至るになったのか、そこに思いを馳せれないので、単なるバカとして描いてしまう。

単なるバカ相手に、苦しんだり、騙されたり、強敵だと感じる時点で、構造的に主人公も読者目線ではバカに見えてしまうのは必然なので、表現できる主人公設定も限られてきます。

自分とは相容れない考えの人間であっても、その人もまた、自分と同じように考えていて、自分以上に聡明で、その人なりの正義や感性、哲学がある。

これが薄っぺらい知識ではなく、腑に落ちて理解できている作家さんの方が、当然表現の幅は広がります。

なので、今とても苦しい状況かと思いますが、今の自分の気持ちをダメだと思わず、元気になって忘れてしまわないうちに、書き留めておいて欲しいです。

思い出せるなら、以前の自分との違いも書き出して欲しいです。

きっと将来、そのメモがめちゃくちゃ役に立つ時がくるので。

さて、その上で「ウケなかったらどうしよう」という気持ちとの向き合い方についても、技術論をお伝えしたいです。

まずこの気持ちを抱くということは、あなたは読者から評価されたいと感じている証拠です。

評価されたいというのなら、評価基準について考えましょう。

想像して欲しいのですが、

Aさん 好きな小説は大江健三郎「他人の足」

Bさん 好きな小説は雨穴「変な絵」

Cさん 好きな小説は顎木あくみ「わたしの幸せな結婚」

この3人全員に「褒められる」小説を書くためにはどうすればいいですか?

あなたは、同じ事象でも、自分の気持ちが違えば、まったく違う捉え方をしてしまうことを実感することが出来ました。

ならばわかると思います。

上げた3作品は、どれも素晴らしい作品ですが、

違う捉え方をする人が読めば、どの作品も「ノットフォーミー」と言う人は存在してしまうということです。

同じ人間でも「面白い」と感じるものが変わってしまう可能性があるのに、

元々趣向性の違う人たち全員に面白いと言われるのは、かなり難しい戦いです。

なので、新人作家さんということなので、

漠然と「ウケるだろうか…」と考えるのではなく、

もっともっと具体的に考えてください。

あなたが喜ばせたいと考えている人は一体どんな人達なのか。

日々、どんなことを考えて、何を面白がって、何に憤って、何に喜びを感じているのか。

漠然とした不安というのは、大抵漠然とした考えが産んでいます。

狙いをしっかり見定めてください。

そうすると、たとえホームランにならなくとも、狙い通りバントには成功したなら、それは成功です。

ホームランを狙うなと言ってるわけではありません。

大きな目標と、「これだけは必ず実現させる」という最低ラインの両方共に意識して欲しいのです。

具体的に「自分が超えるべき最低ラインを意識して」、そこにのみ責任を持ち、新人さんということなので、まずは大きな目標(年間ベストセラー1位!累計1億部突破のハリポタ超え!!)などは「時の運」だと考える。

ちなみに、ハリポタ超えのためにやるべきことが具体的に見えているなら、あなたにとってはそれが「自分が超えるべき最低ライン」なんだと思うので、勿論目指していいと思います!!

要は、なにをすればいいかはっきりと解ることは、あなたの実力に見合った目標なので、それについてはしっかり頑張る。

逆に、「漠然としていること」「道が見えない」ことは自分の実力でつかみ取ろうとしてないわけでなので、つまり「運に任せ」している状況です。

なので、そこに不安を頂いたりしないようにしましょう。

宝くじが当たらなかったらどうしよう…と考えてる人と同じですよ。

いや、そこは「当たらない」ことを想定して生きてよ…!と皆ツッコミを入れると思います。

自分の実力と努力にみあった不安を抱くようにしてください。

さて、最後に猫ちゃんのことを。

さみしいですね。

今あなたが色んなことに対して抱いている「小説なんて書いても無駄なんじゃないか?」という感情が、もしも猫ちゃんが亡くなったことから来てしまっているなら、切なくて仕方がありません。

介護しながら、小説を執筆しようと時間を作って目を離した数時間を、もしも後悔しているなら、私まで泣きそうになってしまいます。

「小説を書くなんて無駄なことに時間を使わなければ、もっとあの子のためになにか出来たんじゃないか」「あの子に我慢させてまで書いてきた小説なんだから売れなければ…」とか、

そんな風にはけして思わないでください。

「もっとしてやれたことがあったんじゃないか」

「あの時期忙しくて、病院に行くのが遅くなった」

とか、考えないでください。

あなたが獣医さんならともかく、あなたが猫ちゃんの病気に対してやれることなんて、たかがしれてます。

というか、何にも出来ないに等しいんですよ。

人は、思ってる以上に自分一人ではなにもできない存在です。

だからこそ、自分が得意なこと、出来ることをやるしかない。

猫の介護中に小説を書きたいと感じていた自分を、絶対に責めないでください。

それがあなたの出来ることであり、やるべきことだったので。

だってお金を稼がないと、猫ちゃんなんて飼えないので。

そしてやりたいことを我慢させられる人生は、人の心を蝕むので。

あなたが小説を書きたいと思ったことは、猫ちゃんを裏切る感情なんかじゃないんですよ。

自分の実力と努力にみあった不安を抱くようにしてくださいと書きました。

後悔もそうです。

実力にみあわない後悔は抱かないでください。

運とか神様とか、なにかそういったもののせいにして、自分のやれること、「最低限これだけはやりきろう」と決めたことが出来てたなら、「頑張ったね、私」と褒めてあげてください。

とりあえず無理に書こうとせず、書けない自分を責めたりせず、まずは毎日自分を褒めてください。

「最低限」を意識して、「出来ている」「成功した」と認識する癖をつけてください。

小さいことでいいので。

朝、ちゃんと起きてえらいとか。

お風呂入ったえらい。

歯を磨いた、えらい。

メール返したのえらい。

1行書いたのえらい。

1章書いたのえらい。

1冊分書いたのえらい。

本を出したのえらい。

あなたは今極端に自分を責めているような気がします。

物の見方は一つではないと実感したあなたなら、その一方向の考えだけに捕らわれるのはよくないと理解できると思います。

「中庸」になるために、対極の考え方を意識してください。

自分を責めた分だけ、自分を意識的にたっぷり褒めましょう。

褒めて、褒めて、褒めて、やっと「真ん中」になるんだと意識して日々を過ごしてみてください。

6か月

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