コミュニケーションは元来、私的なものが主であって公的な立場の上で行うものではなかったのではないかと思います。

 しかし匿名での情報発信やソーシャルメディアの利用が盛んになり、コミュニケーションは以前より公的な色合いが強くなったように感じます。またそのために、公的空間におけるコミュニケーションの作法が私的空間へも援用されがちになっているようにも感じます。

 公的空間でのやりとりそのものは非常に洗練されたものであり、それ自体に異議を唱えるものではないのですが、私的空間が公的空間における思考や行動規範に占拠される様はあまり快くありません。うまく言語化できないのですが、忌避感のある側面を挙げるなら、公的空間において行動規範が硬直的であり変節を許さないこと、また、ふつう多くの人が内包しているであろう多義性を無視して一つの役割に固定化してしまうことが挙げられます。

 私的空間におけるコミュニケーションを公的空間から隔離して保護するにはどのようにすればよいでしょうか?

うーむ、実に惜しい。ご質問の「私的・公的なコミュニケーション」がテーマの番組がごく最近放送されました。

2024年2月中の100分de名著がまさしくこの話題なのです。

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/p8kQkA4Pow/bp/pYx63VlW6p/

しかし放送から一ヶ月が経ってしまったので、もしご興味がおありなら以下の有料の手段で視聴することになります。

NHKオンデマンド

https://www.nhk-ondemand.jp/program/P202400382400000/

100分de名著 ローティ“偶然性・アイロニー・連帯”

読みたいとは思いながらも途中で挫折してしまう、古今東西の“名著”を25分×4回=100分で読み解く『100分de名著』。偉大な先人の教えから、困難な時代を生き延びるヒントを探るこの番組は、NHKオンデマンドの「隠れたベストセラー」です。今回は、ローティの「偶然性・アイロニー・連帯」です。

www.nhk-ondemand.jp

番組のガイドブック

https://honto.jp/netstore/pd-book_32989954.html

ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』 「会話」を守る

民主主義の危機は、「哲学」が守る<br><br>「トランプ現象」を20年近くも前に予言したとして、一躍注目された哲学者リ

honto.jp

私自身の意見としては、まず上記の議論をご覧いただきたいというものですね。

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その上でお答えするなら、方法と道筋は二つあるように思います。

1つ目は上記ローティも唱えるように思想的に人々を説得することです。

「公的なコミュニケーションと私的なコミュニケーションは異なるもので、異なる場所でされるべきだ」と、たとえばこういう意見が一般的になれば、ご質問のような「公私混同」に悩まなくとも済みます。

2つ目は、単純に私的な場を作ることです。

たとえば、XやFacebook、InstagramなどのSNSは「開けたSNS」と言えます。

あなたを全然知らない人でも、あなたとコミュニケーションできます。

逆にLINEやDiscordのようなSNSはあなたとコミュニケーションを取るために、あなたの許可が必要です。こうした場では私的な意見を出しても問題ないはずですし、「私的な意見を出しても問題がない、ということを目的にこの場をつくりました」ということを参加者に合意させても、まあ同じ効果が期待できます。

私が思いつくのはこんな所ですが、まずは前述のローティの議論をご覧いただければ、おそらく質問者さんのお役に立つことでしょう。

9か月9か月更新

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