名古屋と鹿児島の二拠点生活、素敵ですね。名古屋は住んでいたことがあり、また鹿児島はとても好きな街のひとつです。わたしも東京・長野・福井で三拠点生活をしていますが、つねに感じるのは「地方の生活や人間関係などの価値観・感覚が、東京のメディアにはほとんど理解されていない」ということです。
地方都市、とくに人口数千〜数万人ぐらいの田舎の暮らしは、都会とはまったく異なる軸で駆動しています。職住接近が当たり前で、都会のような長距離通勤はほとんどありません。人間関係も「頼まれたことは何でも引き受け、その貸し借り感覚が関係を持続させる」というようなかたちで持続していることが多い。
中学生ぐらいのスクールカーストが、大人になってもそのまま維持されていることも多く、男尊女卑のホモソーシャル男社会が当たり前だったりします。良いか悪いかは別にして、現実がそのようになっている。だから出て行く若い女性も多いのですが、いっぽうで地元に残る人たちは結婚し子どもを作るのが当たり前でもある。
他にも「タクシーや運転代行の人手不足で夜の街が崩壊寸前」など都会では理解されないいろんな話があるのですが、それ以上は割愛しましょう。なぜメディアがこういう地方の実態にあまりに無頓着なのか。
それは1990年代ごろまで、つまりインターネットのなかった時代にはあらゆる文化が都会で生まれ、それが地方に徐々に広がっていくという中央集権的な構図を持っていたことに原因があるのではないかとわたしは考えています。端的に言えば、「地方はどうせ東京的なものに呑み込まれていく宿命」「地方の文化はただ消滅していくだけで、これから新しいものなど生まれない」といった考えだったのです。だから中央メディアが地方を取材する時は、ただ衰退していくさまざまな局面を「ここでもまた伝統が失われていく……」という詠嘆とともに描いていればそれでよかったのです。
しかし2000年代以降、地方文化は都市文化の劣化コピーではなくなっていき、独自の進化と発展を遂げるようになっています。人口が減って経済が衰退しているのは事実ですが、独自の生活文化や価値観が消滅に向かっているわけではない。ご指摘のように、鹿児島など九州では独自の価値観がありり、それが東京など都市部からの移住組とも融合して、新たな若い文化を生み出している側面もあると思います(まあ男尊女卑があいかわらず強いというネガティブな面もありますが)。
こうした側面に今後は注目していく必要があるでしょう。先ほど言及した「貸し借り感覚が人間関係を持続させている」というような価値観は、都会の社会にも大いに参考になるのではないでしょうか。