夫さんはどうも僕とかなりの部分で同種の人間であるようです。質問者さんには申し訳ないのですが、我々は共鳴してしまったのだと思います。

「わかりやすさ」「どこも同じ」「美学がない」に対しては、「言い方!」とも思いつつ、言いたいことの本質はそれなりに理解できます。あくまでいくつかの注釈を付け加える必要はありますが、「デスヨネー」と頷き合うこともできます。

僕も寿司は数カンあれば充分です。精神的に満足し切ってしまうのです。お刺身には、常にではないにせよ、お醤油どっぷりもアリです。生魚という強烈な食べ物の強さを乗り越えるのには、それが必要なことがままあります。醤油どっぷりくらいで魚の味がわからなくなるほどヤワな舌はしていないと思っています。

 

前回も書いた通り、寿司は素晴らしい食べ物だと思っています。特に最近の寿司は芸術です。

客観的に素晴らしいというだけでなく、主観的にも本当においしいと思います。特に高級なお寿司は、口に入れてからのコンマ数秒の時間経過まで緻密に計算されており感動します。

しかしそれが自分にとってどれくらい必要性が高いものかは、また別の話なのです。

 

美学というのは極めてパーソナルなものですから、質問者さんの「つまみに始まり頭から終わりまで寿司を堪能する」という美学はそれはそれでとても理解できます。しかし僕にとってはそれは美学としては成立しにくい物であることも確かなのです。僕の美学は、「いきなり握りから始まり、5、6カンだけつまんでサッと店を出る」です。その後本命の店に行きます。高級寿司ではそういう使い方は想定されていません。なのでどうしても「昔ながらの街のお寿司屋さん」にしか行けないのが少し残念です。

さて、言い訳はこれくらいにして本題です。

僕は「食事」という行為を大きくふたつの概念に分けています。「正式な食事」と「おやつ以上食事未満」です。ピッタリとそれぞれを表す日本語が無いので、ここでは便宜的にカッコ付きで「正餐」「軽食」としておきましょう。例えばラーメンは「軽食」です。蕎麦も軽食ですが、蕎麦前を組み合わせると「正餐」に昇格することがあります。定食はその両方に跨ります。

「軽食」は、それだけでお腹いっぱいにはなりたくない食事、と言えますし、「正餐」は最低1時間を目安にゆっくりと楽しむ食事とも言えます。僕の理想は1日2食、「軽食」「正餐」一回ずつです。幸い日々概ねそれを叶えています。

本題と言いつつ前置きが長くなってしまいました。

何が言いたいかというと、僕は「正餐」としての寿司を全く重要視していないのですが、「軽食」としては大アリだと捉えているということです。おそらくなのですが、夫さんもこれには賛同してもらえるのではないでしょうか。

夫さんは(僕もそうですが)あくまで寿司を「正餐」として迎え入れることが受け入れられないだけなのではないかと思うのです。質問者さんは両方で寿司を受け入れられる方なのでしょう。だから夫さんとの完全一致は難しいと思われますが、こうやって半分一致させることは難しくないのではないでしょうか。

ただし日本には魅力的な「軽食」が多すぎます。だから世の中には「1日3回『軽食』」というパターンの食生活の方も決して少なくない、いやむしろそれが主流なのではないかと思っています。寿司が『軽食』としていかに優れているとはいえ、そうしょっちゅうそんな激戦区で選択されるわけでもないでしょう。

逆に「正餐」としての寿司は、前回も書いた通り、現在和食ジャンルにおける頂点を極めています。残念ながら相談者さんと夫さんの齟齬は今後も続いていくことでしょう。なので現実的な解決策としては、相談者さんはひたすらランチでその寿司欲を満たし、主たる「正餐」の場である夕食にはそれを持ち込まないことかもしれません。

夜にちょっとした贅沢をするならば、寿司ではなく会席にしましょう!(我田引水)

1年前

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