安藤馨先生は一橋大学の法哲学者ですね。回答者の御指摘のとおり、安藤馨先生は本当に凄いです。以下で思いつくまま列挙します。

① 『統治と功利』(勁草書房、2007)がすごい

 まずは誰もが思いつくのがこれですね。この本は安藤先生の修士論文を編集したものですが、博士論文の水準を優に超えているといっても過言ではありません。その目的は功利主義の擁護にあるわけですが、この本の特長は、なんといってもその論証の体系性・緻密性にあります。隙のない議論が様々な論点にわたって広汎に行われており、それが全体として、特定の形態の功利主義の擁護という1点に集約されているわけです。結果として、本書が示している功利主義の形態は、その出版からすでに15年がたつわけですが、邦語文献はもちろん哲学の本場である英語文献でも乗り越えるどこからその後塵を拝しているような状況です。おそらく、英語圏の議論がこの水準に追いつくのはかなり先だと思われます。

 というのは、国際ジャーナル文化から見た本書の短所が原因です。つまり、本書は、新奇なアイディアにあふれているというわけではないからです。本書は、むしろ古典的なアイディアを体系的に洗練させていくところがすごいのですが、こういうものは国際ジャーナルだと受けいれられにくく、むしろ目を引く新たなアイディアがあるものが受けいれられやすい土壌があります。とはいっても……という部分もあるのですが、少なくとも大勢としてそういう雰囲気があるのは確かなので、いわば愚直に論証を精緻化した本書に国際ジャーナルの議論が追いつくのはまだまだ先だという見通しをつけています。

 ただ、本書の示す間接功利主義に類似した発想の功利主義も提案されていたりはするので(私から見れば不必要に複雑化しておりそのために脆弱性を抱えているのですが)、永遠に追いつけないだろうとも思いません。

② 哲学の幅が広い

 安藤先生は法哲学者です。日本の法哲学者は、主として政治哲学をやる傾向にあるのに対して、安藤先生は法概念論やメタ倫理学についても複数の、しかも国際ジャーナルの議論を踏まえても最高水準の議論を展開されています。これは安藤先生の師匠である井上達夫先生とも似た傾向ですが、井上先生はやはり著作の量とその水準において圧倒的でしたので、それを受け継ぐのは本当に凄いことです。

 ここで「受け継ぐ」という表現を使いましたが、安藤先生の議論は井上先生だけを見ているわけではなく、最新のものを含めた英語圏の議論を徹底的に調査・咀嚼してその上をいくスタイルです。こうやって弟子が師匠を超えていくのは、学問としては当然のことともいえますが実際にはなかなかできることではなく、端から見ていて気持ちよさがあります。

 さらに、一口に政治哲学といっても、その内容はさまざまであり、その中の少数のトピックのみについて継続的に論じる哲学者も少なくありません。しかし、安藤先生は、政治哲学を一つとっても、功利主義、民主主義、自由意志、平等など政治哲学の主要テーマを総ざらいするかのごとく幅のある研究を、非常な高水準で発表しておられます。本当に凄いです。

さしあたりこれくらいでしょうか。安藤先生の凄さが伝わったら幸いです。これだけで法哲学者としては十分すぎるほどなのですが、あえて憲法学者としてお願いしたい点を挙げることもできます。

 それは、安藤先生は、実定法学の議論との真摯な対峙や接続を御自身ではなさろうとしない点です。実定法学の議論を取り上げることもあるのですが、あくまで哲学的に面白い説を取り上げているにとどまり、実定法学側から見てそれを取り上げることに意義があるかどうかはあまり気にしておられない印象を受けます。それは哲学者としては別に欠点ではないのですが、安藤先生の議論には法学全体として更に議論を発展させる鉱脈が盛りだくさんなので、もったいなく感じます。ここは、憲法学などの議論に真摯に対峙した井上先生との差異でもあります。

 とはいえ、それは法哲学者(のうち、法学を題材として哲学者)ではなく実定法学者の仕事なのだと思います。そのため、この点を安藤先生の欠点とは考えていないことはご了解ください。

 なお、安藤先生は、『法とは何か』という著作を勁草書房から出版する予定でおられます(以前、勁草書房が公表していた出版予定に記載)。とても楽しみです。

1年

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小川 亮さんの過去の回答
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