SNSに限らず「私は納得しない」とおもっている人を納得させるのは不可能です。
たとえばある人が「納豆は嫌いだ。なぜならあの臭いが嫌だから」と考えているとします。
この考えを変えさせるのは不可能です。
仮に他の人がどれだけ納豆の素晴らしさを説いた所で「でも臭い」という致命的な部分が動きません。
もしこれが「私は納豆が苦手なのだが、どうすれば美味しく食べられるだろうか」と、
予め歩み寄る姿勢なら可能性はあります。
こういう聞き方なら多くの「納豆が苦手だったが今は食べられる人」が助言してくれるでしょう。
あとは疑問を発した人がどの解決策を選ぶかという問題です。
ご質問は
同じ事柄に対して違う意見を持つ者同士が言葉での殴り合い、煽り合い、悪口の応酬を経て、
とあるので前者、「私は納得しない」とおもっている人かと思います。
別の言い方をすれば納得する心構えがない人です。
そもSNSは納得をする必要がないので、いつでも誰でも「納豆は嫌いだ」と言ってもいいのです。
そこを「相互理解」させるのはむしろ、相互理解を目的とした人がどうにか達成できるだけで、
それを目的としていない人は当然そうした結果に至らないでしょう。
これがSNSに限らないにはたとえば路上がそうではないでしょうか。
あなたと友人が歩いている時、ふと「そういえば私は納豆が苦手なんだ」と話したとします。
ここに第三者が割り込んできて納豆の素晴らしさを説いたら、相互理解に至ることなどあるでしょうか。
むしろ相互理解に至る事例のほうが特殊であり、
Xは多くの場合「つぶやき」を投稿する場なのですから、相互理解に至らないのはいたって自然に思えます。
24日(23日更新)