まず重要なのは、どの芸術作品も同じような分かりやすさではないという点です。これは、その芸術作品がいかなる目的で、どういう受容を念頭に置いて作られているのか、ということと特に関係しています。その芸術作品の対象者やコンテクストと、私たちの状況とが似通っていれば分かりやすく、隔たっていればそれだけ理解には知識や経験が必要になります。

例えば宗教画、神話画は、キリスト教や神話の知識をそれなりに前提にしており、またその知識があることで深く楽しめるタイプの作品です。なので、キリスト教やギリシャ神話の知識、またそれらの内容がどのようなシンボルであらわされるのか、などをあまり知らない人には難解なものになりやすいです。また、中世以前の作品の場合には、そもそも絵画は「作家がオリジナリティを発揮する」ためのものではなく、依頼主の要望通りに忠実に同じような作品を作ることが求められていました(現在の工業製品の工場をイメージするといいでしょう)。そもそも作者が記載されていない作品が多いのもその反映です。芸術作品=オリジナリティという現在のイメージと乖離しているため、各作家の個性やその思考・感情の発露として芸術を捉えることが必ずしもうまくいかず、その作品理解を難しくしやすいです。

同様の理由で、肖像画もなかなか難しいです。多くの肖像画はパトロンのためにパトロンを描いたものなので、美術館にかけて飾るために描かれたわけではなく、どう鑑賞したらいいのか掴みにくくなりやすいです。また、キュビズムなどから現代アートに至るような作品は「どこまで表現は突き詰められるか」「そもそも芸術とは何なのか」のようなものを極限まで探究するようなものが多く、これらはその問題設定から「芸術を分かっている人」向けに制作されているので、芸術初心者にはやはり難しくなりやすいです。

明治期以降の日本の近代絵画も、なかなか難しいと感じています。この時期の作品は、当時の日本の芸術家が大量の西洋の作品に触れ、「西洋の先端的な方向」と「日本的なもの/独自の良さ」との間で様々な模索が行われた、その軌跡というべきものが多いと思います。しかしこれは、その前後の西洋及び日本の芸術の流れを把握することでその位置づけを理解できるものだと思うので、難しくなりやすいと感じます。

 

では逆に初心者でもわかりやすい(可能性が比較的高い)作品はどういうものか、そういう作品をどう鑑賞すると楽しみやすいか、を以下でいくつか挙げます。

1:印象派・ポスト印象派など

日本でも特別展の多い印象派ですが、印象派の作品が当時から展覧会に出され、富裕層市民によって好んで購入されていったという事実は、印象派が特別な素養のない一般市民にも好まれやすい側面を有することの一つの裏付けです。題材が都市などの明るく身近な対象が多いこと、写真のような忠実なトレーシングではなく、心に響かせようとする描き方であることが分かりやすいこと、などが印象派の好まれやすい理由かと思います。

こうした絵画を鑑賞するうえで一つ知っておいてもいいと思うことは、絵画の目的は写真のように対象を忠実に写し取ることではない、ということです。対象を絵にする段階で、どういう主題を見出し、何をどのように残すのか、という無数の選択を描き手は行っています。むしろそこにこそ作者の独自性や技量が見れます。絵を見る際には、作者はどこにどのような本質を見出したのか、この絵によってどういう風に心に響かせたいのだろうか、ということを考えるのは面白いです。

あと、絵画を見る際には、絵は立体である、ということも認識しておくといいでしょう。絵を横から見ると分かりますが、画家によっては絵の具がかなり立体的に盛り上がっています。私はゴッホの絵を初めて見たときに、絵が盛り上がっていることを認識して驚いた記憶があります(ゴッホは実際以上にその立体性を見せるのが上手な画家でもあります)。これは図版ではなく現物の絵を見ることでのみ味わえるものでもあります。

上の話と関連していますが、見る角度によって絵は見え方がかなり変わります。モネやセザンヌの絵は、左の方から見るのと右の方から見るのとで、絵の印象が変わる場合が少なくありません。展覧会に行った際、気に入った絵は様々な角度から見て、そういう絵の見え方の変化を探すのも楽しいです。

2:大きい絵、あるいは風景画

絵が大きいということはわかりやすく鑑賞者にインパクトを与えます。たくさんの人々が描かれている作品を鑑賞するならば、その作品の中に入り込むような気持ちでゆっくり眺めていくとよいでしょう。ブリューゲルの作品ならば、それこそ100人以上の人が描かれているものもあります。その世界を端から端まで目で歩いていき、一人一人を見ていく、なんならその人たちが動き出したり、声や物音が聞こえてきたりするような、そんな様子を想像しながら心の目と声で見ていく、そんな風に鑑賞するのはなかなか楽しいです。

テレビも写真もない時代、巨大な絵というのはヴァーチャル・リアリティーの機能を果たしていました。宗教画や神話画、歴史画というのは、聖書や神話、歴史の世界に入っていく巨大な装置であり、今でいうVRゴーグルとかもっと高機能の装置とかのようなものだと捉えてもいいでしょう。棟方志功がバチカンの「最後の審判」を見た際に、床に寝そべり、言葉にならない声を発しながら床を転げていた、というエピソードがありますが、彼の鑑賞姿勢は作成当時の芸術鑑賞の在り方と近いものがあるでしょう。

絵画の世界に入り込むのは、風景画はやりやすいです。「まさにその風景を見ている自分」は思い浮かべやすいからです。ターナーとか北斎とか、それぞれ方向は全然違いますが、絵の中の世界に入り込んでそれを楽しむのに向いていると思います。

先ほど「現代アートは難しい」と書きましたが、大きさで心に迫るタイプの作品、具体的にはジャクソン・ポロックなどの抽象表現主義は、それなりに鑑賞をすることもできます。抽象表現主義は、大きなキャンバスを全面に均一に使い、畏怖や崇高を掻き立てるような作品を作っています。登山をしていて大きな山々の光景に圧倒されるように、こうした絵画に圧倒されるのは正しいです。

3:不穏な怖い、怪しい作品

不安感や恐怖感は、難しいことを考えなくても感じ取りやすいです。そのため、恐怖や不安を掻き立てるような作品は、好みは大きく分かれますが、ハマる作者の作品ならば大いに楽しめると思います。例えば、ゴヤの「黒い絵」シリーズや、ムンクの「生命のフリーズ」シリーズなどはその例でしょう。また、作者レベルならば、ジョルジョ・デ・キリコ、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリットなどは、それぞれ独特の世界を描く芸術家です。この手の芸術家とは全然違いますが、エドワード・ホッパーの作品にも独特のもの悲しさがあります。好みにあいそうならばぜひ見に行くといいでしょう。

 

(追記)

もともと聞かれていた、美術館での美術作品の見方について、すでに書いている「絵を立体としてみる」「いろいろな角度から見る」「絵のヴァーチャル・リアリティーの世界の中に入り込むようにしてみる」以外に、いくつか挙げます。

まず、美術館・美術展ではすべての作品を均等にまんべんなく見る必要はありません。「すべての絵を見た」という記録を作りに行っているわけではないですので、全作品を30秒ずつ見てコンプリートする必要はなくて、気に入った作品は1時間以上かけてじっくり見て、興味のない作品は見ないで出て行っても全く問題ありません。むしろ「長い時間かけてじっくり見るに値する作品を見つけに行く」のだと思うのがよいでしょう。

あと、暗い部屋に入った時には目が慣れるのに一定の時間がかかるように、絵の世界に目を慣らすのには一定の時間がかかる、ということも覚えておいてよいでしょう。黒っぽい絵だと、最初はただ黒い闇かと思っていたところに、目が慣れてくると実は細かくいろいろなものが描かれていることに気づく、ということも少なくありません。黒だけではなく大きさや描き方についても同様で、絵の世界にピントがそろうのには時間が必要です。

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