えっと、ご質問を素直に読むと
「Wikiの記事や個人の著書で国や歴史に関わる機関に動いてほしい」という意図で間違いないでしょうか。
この質問でしたら、それは”動くべきでない”という回答になります。
本来学問は国から独立していなければいけません。
少なくとも歴史的には奨励されません。
学問が発展した重要な出来事の一つとして、イギリスの王立協会の成立が挙げられます。
この集いにニュートンらが所属したのは有名なお話ですが「王立」というのがポイントです。国立ではございません。
以降も「王立」協会は国王の庇護という大義名分のもと、国とは独立し自由な研究や発表を行い、今に至ります。詳しくは下記の書籍をご覧ください。
文系と理系はなぜ分かれたのか (星海社新書 137) https://amzn.asia/d/0bZ4RMJl
逆にお伺いしたいのですが、「歴史に関して……国が……本格的な対策に(動く)」とはどういうことを想定しているのですか。
おそらくジョージ・オーウェルの『1984』のようなことを想定しているのでしょうか。
それなら作品の趣旨の通り、まさしく国が強権を持つことこそ避けるべきという結論になるのですが。
あるいは国が歴史において重要な「主導権」を得た教訓として、ナチ政権も挙げられますね。
ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書) https://amzn.asia/d/0iQ4Z4TS
質問者さんには「間違いが海外に浸透したらと不安」になるより、別の心配をしていただきたいと思います。
私が知る格言に「煙から逃げて、火に飛び込む」というものがございます。
不安を恐れて危険を期待するのは、それこそ危険な思考に思えます。
また、ご指摘の問題には最近こういう記事が出ていますね。
「トーマス・ロックリーによって『黒人奴隷は日本発祥』というデマが広がっている」というデマ - 電脳塵芥 https://nou-yunyun.hatenablog.com/entry/2024/07/25/230000