そもそも論として昔から日本全国で、上流の料理は関西料理であり、下流はその土地土地のローカル料理だったわけです。もちろん東京だって例外ではありません。ただし東京の場合、そもそもは下流のローカル料理だった鰻、寿司、蕎麦、天ぷらなど、さまざまなものが上流化していったり、それらが関西に影響を与えた結果としての逆輸入もあったりで、レイヤーが複雑化していった部分もあります。
それに対して関西(と言うか近畿)においては、当たり前ですが上流も下流も関西料理です。近代以降における味覚の関西化は、地域的な水平伝播以上に、(世の中が豊かになった結果としての)上流から下流への「天下り」的な浸透の要素が強いと思います。
天下りルートにおいては、誤解、コストカット、ローカル料理(≒その土地の嗜好)とのすり合わせ、などの要因により、様々な改変も行われました。だから関西化の実態というのは、実は、
関西の上流料理が各地でも上流料理となった
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その上流料理が形を変えつつ下流にも浸透していった
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外食産業が盛んで食品メーカーも集中している東京で真っ先にそのスタイルが完成し、それが全国にも波及した
という「ユ」の字形の経路をイメージするべきだと僕は考えています。
話が逸れたので戻します。
階層としては下流に属するバリバリの庶民ながら、食に関して「だけ」は上流的なそれにも慣れ親しんでいる人々が一部存在します。それが食品関連の仕事に従事している人々です。まさに僕もそう、ということになりますね笑。質問者さんの指摘する「魚河岸に集う人々」は、売り手はほぼ間違いなくそうであり、買い手の多くもその人種です。
今のYの牛丼が発祥当時からどのくらい、どのように変化しているのかは分かりませんが、文献等から推察する限り、当時としてはかなり革命的なものであったことは確かなようです。東京のローカルフードとしての(「かめちゃぶ」と呼ばれていたような)バリバリの庶民料理とは一線を画していたということです。
その牛丼は端的に言えば、上流的な味わいをあくまで庶民的なスタイルで提供したものでした。魚河岸の人々にとってまさにドンズバであり、大当たりしたのも宜なるかなと言ったところでしょう。
その成立が、質問者さんの推論のように
関西→関東
という水平的なものであったのか、
上流→下流
という垂直的なものであったのか、それは両方の要素が複雑に絡み合っているのではないかと僕は思います。
関西的要素意外で僕が感じるのは「洋食的なハイカラさ」です。味付けに甘口白ワインが使われていることなんかがそれを象徴していると思います。当時洋食は、関西料理とはまた別の文脈で上流的な文化でした。
何にしてもYの牛丼は、「そんじょそこらのありふれた庶民料理とは違うんだよ」みたいな矜持から生まれたものだと僕は解釈しています。それが発祥当時は「食のエリート」にバカ受けし、その後社会が豊かになっていった過程ともバッチリ噛み合った結果、現在の隆盛を築いた。
今となってはバリバリの庶民料理以外の何物でもない牛丼も、そういった歴史を踏まえて食べると、なお一層味わい深いものになるはずです。