「政治に若者の意見を」というのは、シルバー民主主義が蔓延してしまっている現在のメディアの状況では、重要なスローガンだとわたしは考えています。2024年の日本は高齢者の数が非常に多く、たとえば昨年生まれた子どもの数は全国でわずか75万人でしたが、いま70代終わりになる団塊の世代の人たちは年間260万人もいたのです。トータルするとなんと800万人。すごい数です。
しかも高齢者は投票率が高いので、どうしても政治家は高齢者に忖度した政治行動になってしまいがちです。高齢者の医療費や社会保障費にだれも手を付けようとしないのは、このシルバー民主主義のひとつの象徴と言えるでしょう。
とはいえ、いずれ団塊の世代も社会から退場していきます。わたし個人はあの世代よりも15歳ぐらい下ですが、1960年代生まれのこの世代はあまり声は大きくありません。さらにその下の1970年代生まれ、団塊ジュニアとか氷河期世代とか言われる世代になると、声が大きいどころか「社会運動もせず、声も小さいままつらい人生を送る人たち」です。社会運動を忌避したのはたぶん親世代への反発からだと思いますが、彼ら70年代生まれが高齢になったとき、シルバー民主主義が維持されているとは思えません。
実際、年金など高齢者の社会保障制度が抜本的に見なおされるとしたら、それは団塊ジュニアが高齢化した時ではないか?というのは最近ひそかにささやかれている悲しい話題のひとつです。
さて、そのような近未来においては高齢者はもはや抑圧する側ではなく、抑圧される側に回っている可能性もある。少なくとも、若者も高齢者も同じようなフラットな立場になっているのではないかと私は予測しています。そうなると「若者だから」というだけで若者の意見をありがたがるということはなくなり、若者の意見も高齢者の意見も両方を鑑みて、バランスをとりながら政策決定していくという政治が必要になってくるでしょう。
われわれはマイノリティをつい判官贔屓する傾向がありますが、2024年現在でも日本社会はすでに「だれもがマイノリティ」「だれもが弱者」という社会、少なくとも多くの人が自分を弱者だと認定してもらいたがっている社会に突入しつつあります。そこでは「マイノリティだから」という建前ではない、より建設的なバランス感覚が求められるようになっているのは間違いありません。