ご愛読ありがとうございます。
人と人との間に相性があるように、本(または作者)と読者との間にも愛称というものがあると考えています。いい人らしい、個性が素晴らしいらしい、才能豊からしい、第一人気者だ、と端から見ていて感じても、実際に接してみたら、どうもうまくいかない、相性が悪いんだなと思う人と、あなたはそれでも無理をしてお付き合いをなさるでしょうか? 「そういう人はそういう人。私は私」という結果を導き出されて、遠くから見守っているか、または、まったく自分の視界に入ってこないようにするのではないでしょうか。もしかしたらいい人なのかも知れないけれど、相性が悪いのなら仕方がないというものです。
本と読者の関係も、同じだと思います。周囲の評価がどうあれ、ページをめくるのが辛くなる。ワクワクしてこない。途中で雑念ばかり入ってくる。挙げ句の果てには苛々してくる。そんな本が、ベストセラーになっていたりするのは珍しいことではないでしょう。私も、同業でありながら、どうしても受けつけない本があります。何度チャレンジしてみても、途中で挫折してしまう。どうして、これを皆がそんなに喜ぶのか分からないと思う作品が必ず存在します。最初の頃は、自分の読書力が弱いのだろうか、語彙が少ないからだろうか、等など色々と考えたのですが、要するに「相性がよくない」のだと思うようになりました。
その分からない感じを快感と捉える人も、中にはいるのかも知れません。明らかに騙されて振り回されている感じに幻惑される場合も、あるのかも知れません。ですが、私は「無理だ」と思った本からは潔く遠ざかることにしています。もっと他に読みたい、読まなければならない本があるのですから、無縁と思う本にこだわり続けるのは逆に勿体ないと思ってしまいます。
文芸評論家など、読むことを「仕事」となさっているのでない限り、お好きな本を手に取って、その世界を楽しまれるのが精神衛生上も一番良いのではないかと思います。何も「嫌い」にまでなることはないと思いますが、「あ、アノ手の本とは相性が悪いみたい」と思われて、すっと横にそれてしって何の問題もないのではないでしょうか。ただ、そういうのが好きな人もいる、称賛する人もいる、不思議なもんだなぁと思っておいでのなるのが一番です。