九月と申します。くがつと読みます。あまり好ましいことだとは思えませんが、インターネットにおいては「人権」がスラング、ある種のネットミームとして用いられることが多いです。本来の『人権』という言葉の意味からは距離がある用法です。

本来の『人権』の意味は専門的な方の説明を調べて頂くこととして、僕は少し、「人権」と『人権』の違いについて考えてみることにします。というのも、僕はふだん芸人をしているので、言葉の流行り廃りという角度から考える方が得意なのです。しばしお付き合いください。

  • 言葉をスラング化する、とは

さて、そもそも「何らかのフォーマルな言葉をスラングにすること」自体は、特段インターネットに限った話でもありません。僕たちはよく、硬い言葉をあえてスラングのように用いることがあります。

例えば学生時代、最近授業で習った単語が流行語的に使われることはありませんでしたか?

「学食混み過ぎてて大名行列だった」
「お前いっぱい動いて点Pかよ」
「いま静かにして、公共の福祉とかあるから」
「このグループ課題、勘合貿易のシステムだな」
「昨日のプールの授業、暇すぎて俺ずっとプールサイドで光合成してた」
「俺、彼女できないしもう無性生殖を目指すわ」
「マジで最近アパシーなんだよね」
みたいな。

こういうのって、別に用語の使い方が厳密に正しいかどうかは問題じゃないですよね。あくまでも「日常会話に出て来なさそうな言葉を、あえて日常会話に輸入して使ってみる」みたいなノリです。

みなさんの学校でも、多かれ少なかれあったんじゃないかと思います。大げさめな言葉を、あえて日常会話で軽く用いることでスラング化してしまう用法。そういうのを発明するのが得意な同級生なんかも、いたんじゃないですかね。

あるいは学校じゃなくても、ご家庭や会社などでもやられていたりするでしょうか。ネットにおける「人権」も、ジャンルとしてはそういう言葉の使い方なんじゃないかと思います。

  • スラングにおける「人権」とは何か

では、本来の『人権』概念と、インターネットにおけるスラング「人権」の使われ方は、どんなふうに違うのでしょうか。最も大きい違いは、「万人に与えられるものか」「人と人とを分かつためのものか」という違いではないかと思います。

すなわち、スラングでいう「人権」とは、「基本的に人として認められる権利」という意味合いをあまり持っていないのです。むしろスラングにおける「人権」とは、「一定の優位さを手にしている」くらいの意味合いであり、あくまでも人と人とを比較したうえで生まれるものなのです。

あいつらは持っているけれど、こいつらは持っていない。だから「あいつらの方が人権ポイントが高い」みたいな。ものすごく比較を念頭にした概念です。一種のヒエラルキー意識と言ってもいいでしょう。

だかこそ、スラングにおける「人権」は、「身長何センチ以下には人権がない」「ポケットWi-Fiを持っているのは人権だ」「ゲームで課金してやっと人権を得た」のように、持っている状態と持っていない状態の比較を念頭において使われることになります。

スラングにおける「人権」は、誰もがアクセスできるものではないものにのみ使われるのです。「少し多くのものにアクセスできる」くらいの内容を、ある種大げさに誇張して言った言い回しだといえます。

これは、法や条約における『人権』が、人と人を分け隔てなく扱い、誰しもに与えられるべきものとして定義されていることとは、大きく異なります。人と人とを比較し、どこかで線を引いて分かつからこそ成立するスラングなのです。

  • なぜ「人権」がスラングとなったのか

ではなぜ、「人権」がスラングとなったのでしょう。背景には、一つには誇張した言い回しを好むインターネット文化の特性があると考えられます。

インターネット上でスラングとして選ばれる言葉は、得てして字面のインパクトがあり、意味の大きい言葉ばかりです。「人権」「脳死」「地雷」などが分かりやすいところでしょうか。これらはもとの言葉の意味から離れ、物事を強調してセンセーショナルに表現するために用いられます。

もちろん、インターネットの登場以前から「爆弾発言」「雷に打たれたような衝撃」のように、極端なモチーフを持ち出して物事を強調する言い回しは存在しました。何もインターネットと共にスラングが生まれたわけではありません。ただ、ネットの登場以降、その「極端なモチーフ」の登場と流行のサイクルはぐんと早くなりました。

要因には、ある種の悪辣さを好むネット特有の心性もあるでしょうし、ミームを用いた反射的なコミュニケーションが好まれるという、ネット文化の特性もあるでしょう。もともと、スラングには「同じ言葉で通じ合うことで、仲間意識を醸成する」という役割があります。この比喩表現で通じあえたら仲間、みたいな、ある種の合言葉というんですかね。それがインターネットという匿名空間とマッチしていたんでしょうね。

個人的には、ちょっと反感を感じることも多いです。「何も単なる強調表現のために、そこまで危ないものを持って来なくても」とも思いますし、もっと端的に「工夫をしろよ」とも思います。もうちょっと、てめえで考えろというか。反射的にスラングを用いるのは、流行に従順過ぎて馬鹿らしいだろというか。お前が普段どういうインターネット見てるかバレてるぞ、というか。

さらに個人的なことを言えば、ふだん芸人活動をしていて、ネタやトークの中でただスラング的に「人権」「脳死」「地雷」を用いている同業者を見ると、ちょっとがっかりします。「それをもっと別の言葉で言いかえるのが芸人だろ」と思います。新しいスラングを流行らせてやる、とか、スラングの違う使い方を発明してやる、くらいの気概を持てよと思います。(たぶん、近い感覚の同業者も多いんじゃないかと思います。)

  • スラングにかすめ取られてはいけないもの

ここまで見てきたように、「人権」という言葉はスラング化しており、本来の用法からは離れたところで流行しています。あなたの質問文にあった「包含される意味が広がっている」というのは、ある種まったく間違っています。包含される意味が広がっているのではなく、全く違う用法が広まっているのです。

そしてもちろん、こうしたスラングの流行に、もともとの言葉の意味までをかすめ取られてしまってはいけません。プールサイドで日光を浴びていても、僕たちは「光合成」なんかできません。それでも単なる日光浴のことを、スラング的に「光合成してたわ」と言うことはできます。友達同士の会話なら、ちょこっと盛り上がれたりするでしょう。でも、スラングの「光合成」を使うことによって、本来の『光合成』の意味を忘れてはいけません。

同じように、誰かにはあり、誰かにはないものを「人権」と示すスラングがいくら流行ったからって、僕らは『人権』の意味や用法を忘れてはいけません。あくまで元ネタあってのスラングです。

あなたが例に出した発言における「人権」も、本来の『人権』とは異なる、スラング的な用法だと考えられます。これからスラングの「人権」を目にしても、あるいはもしあなたがスラングで「人権」と言うことがあったとしても、『人権』と「人権」はまったく違うことを忘れずにいきましょう。

1年1年更新

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