「磁石」を、「鉄を(磁力で)引きつける物質」だと簡単に定義することにすると、「全ての物質は磁石か」という質問への答えは「いいえ」です。弱い磁石かと言われても「いいえ」です。

ほとんど全ての物質には「電子」が含まれています。(含まれてない物質は非日常的な物質なので考える必要はありません) 電子はみなスピンという物理量を持っています。これは磁性のもとになる量の最小単位です。その磁性のもとを「磁化」といいます。電気のもとになる電荷は「荷」なのに、磁化は「化」です。ややこしいですね。さて、電子はみなスピンという磁化を持っていますから、(素粒子とか原子核とかの世界は無視することにしても本質は変わらないので)「最も小さな磁石は電子だ」と考えてもらって構いません。ということは、全ての物質には電子という磁石が含まれているわけになりますから、全ての物質は磁石だと言っても良さそうな気がします。

ところが、そうではないのです。

以前にフェルミ面の話をしたときや、光が物質を透過する話をしたときに、バンドという言葉が出てきましたが、物質の中にいる電子は波になっていて、様々な波長を持ってよいはずなのに、実は原子が格子を組んで並ぶことによって物質ができているせいで「波長の半分が格子間隔の整数倍になる」ような特定の波しか存在が許されません。これはつまり物質の中の電子のエネルギーがとびとびの値しか許されないということなのだという話をしました。電子はフェルミオンと呼ばれる粒子で、フェルミ統計に従うので、このとびとびのエネルギーを低い方から順番に1個ずつ占有していき、許されているエネルギーの値が全部電子で埋められた状態が「絶縁体」で、途中までしか埋まっていないものが「金属」だと言いました。実はそのときに「簡単のためにスピンは無視する」と書きましたが、今度は無視しないことにすると、ひとつのエネルギー(ひとつの波長)には、スピンが上向きの電子と、スピンが下向きの電子の二つが存在しても良いのです。なぜ上向きと下向きなのか? 斜めとか横向きはないのか? というのは量子力学の面白い問題で、それを説明していると、もはや何の話をしてるのか分からなくなるので、ここでは完全に割愛します。とりあえず、スピンには上向きと下向きしかない、ということを受け入れてください。

そうすると、金属だろうと、絶縁体だろうと、全てのとびとびのエネルギーの値が、低い方から順番に上向きのスピンを持った電子と下向きのスピンを持った電子で埋められていくことになります。すると小さな磁石のもつ磁化は全て打ち消しあってしまいます

実際に、このせいで、ほぼ全ての物質は磁石ではありません。電子の持つ小さな磁化が、全て打ち消しあっているからです。

これで回答は終わりなのですが、では磁石とは何なのかという疑問が生じますよね。磁性というのは固体物理学の中でも難易度の高い問題です。上記のように、ほとんど全ての物質は磁石ではないのに、なぜ磁性を持つ物質が出てくるのでしょう? 多くの固体物理学の教科書は、後半の半分くらいを割いて磁性の説明をしています。したがって磁石とは何かという話は、ここですぐに説明できるものではないのです。バンドが途中まで埋まっている金属の場合と、バンドが全部埋まっている絶縁体の場合とでも磁性の起源が異なってきますし、電子相関だの平均場だの秩序だの相転移だのといった面白い話が次々と出てくることになります。ほとんどの磁石は強相関と呼ばれる物質で、私の専門分野でもあります。固体物理(物性物理)の深遠さを感じられるトピックスなので、ぜひ何か教科書を手にとって勉強されると良いと思います。

1年

利用規約プライバシーポリシーに同意の上ご利用ください

井上 公 / Isao H. Inoueさんの過去の回答
    Loading...