現状では「まだわからない」というのが正直なところです。いっぽうで多くの東京の有権者が石丸さんに投票した動機は、とても理解できます。すでにいくつかの世論調査や分析が出ていますが、従来の左右のイデオロギー対立からは一歩距離を置いたポジションをとったことや、インターネット特にYouTubeやTikTokなどの動画でのキャンペーンを徹底して行ったことなどが効を奏したということなのでしょう。
しかしそれらの戦略だけでなく、わたしは有権者の側に「第三極への期待」が根強くあることが背景にあると考えています。第三極というのは、現状の政治でいえば自民党でも従来野党でもない、新たな政治勢力です。古くは1970年代の新自由クラブに始まり、1990年代の政権交代における日本新党や新進党、2000年代にはみんなの党、最近では維新や国民民主がそれに当たると言えるでしょう。2009年に政権交代した民主党も、第三極の変種として分類できるかもしれません。
しかしこの第三極への期待は、つねに「期待と失望の繰り返し」です。二度の政権交代の失敗がそうですし、政党の側が期待に応えられないまま分裂瓦解したケースもたくさんあります。2020年代現在は維新と国民民主への期待がありますが、前者は大阪の地域政党という色から脱しきれないことと、スター性のあるリーダーが育っていないなどの課題があります。後者は政策への期待は大きいのですが、今のところは勢力として小さすぎて政権担当の期待にまで至っていません。
そういう中で、石丸さんが出てきました。これこそが新たな第三極では、と多くの人が期待しているのでしょう。特に若い層では、自民党も立憲民主も「古い政治」のイメージが強く、石丸さんが脱イデオロギーの清新なイメージを持っているのも大きな勝利要因になったのではないかと思います。
しかし石丸さんのそうした清新なイメージは、「まだ実績がほとんどない」ということと表裏一体です。逆に言えば、実績がないからこそ清新なイメージを持てていると言える。いったん政治の泥に本格的に足を突っ込めば、清濁の「濁」がたくさん噴出してきます。そうした濁を乗り越えて、それでも政治家として大成していく人が大政治家になり、政治勢力を率いる存在になれるのです。
石丸さんがそこまでいけるかどうかは私にはわかりません。今後もとりあえずはその言動や活動を注視していくしかないと思っています。