魚のおいしい港町ではうま味や甘味をブーストしたタイプの醤油が好まれがち、という傾向があるようです。この一見矛盾した現象がなぜ起こるのか僕は長らく不思議に思っていましたが、ある時、金沢出身者の方がこんなことを言っていました。
「魚がたくさんとれる地域では、刺身も生活に密着した『おかず』だから、よりご飯が進む味が好まれたのではないか」
僕はこれに深く納得しました。せっかくのおいしい魚をあんな『人工的』な醤油で食べるなんて、と眉を顰めるのは都会人のエゴなのでしょう。貴重な少しの魚をちまちまと吟味するように食べる「趣味の食べ物」ではない、ということです。信州の人々が自家製の野沢菜に味の素を振りかけるようなこととも少し似ている気がします。
回転寿司もまた、趣味の食べ物ではなく生活の食べ物です。それが「おかず味」になっていくのは必然かもしれません。質問者さんもおっしゃるように、脂の強い魚には甘ウマ醤油が相性が良く、そして回転寿司ではとろサーモンを筆頭に脂の強い魚種が好まれるということもあるでしょう。また魚の鮮度が上がっていく(=熟成されない)中で、普通の醤油では物足りないという要素もあるのかもしれません。(これは産地での現象ともパラレルに見えます。)
何よりこれは、日本全国であらゆる食べ物が甘く、うま味が強くなっていっている現象とも完全に一致していっています。回転寿司でポン酢で変化をつける、というのは僕もやりますが、このポン酢がまた甘ウマで、逃げ場が無い!みたいになりますね。寿司を諦めてうどんに逃げたら、そのつゆもまた……という感じです。
美味しすぎると口が疲れてたくさん食べられない、というのは、食いしん坊ならではの感覚かもしれません。(ちなみに僕はこれを「酒徒理論」と呼んでいます。)普通は「同じ量食べるなら満足感は高ければ高いほどいい」と捉えると思います。
そんなこんなで、少なくとも回転寿司の世界では、この傾向が止まることはないような気がします。
ただし、回転寿司といっても少し高めの店、つまりうるさ方も来るような店だと、その潮流に巻き込まれていない店も多くなるのではないでしょうか。僕が好きな店の醤油は、生醤油と自家製の煮切りの二択です。そういう店だったり、あるいは高級ではない個人店、最近は町寿司と呼ばれているような店が近場にあれば解決しそうですが、前者はともかく後者は都会の商店街みたいなところに僅かしか生き残っていないし、難しいところですね。「自宅で握る」という最終兵器のある質問者さんこそがもしかしたら勝ち組なのかもしれません。