これは非常に難しい話題で、また一般的に語ることができるかどうかもよくわかりませんけれど、私の思うところを少しだけ書いてみます。実のところこれは数学に限らない話だと思いますが、いちおう数学のこととして進みます。
ここでいう「数学ができない」というのは「与えられた数学の問題がうまく解けない」ということで、あなたの分析では「具体と抽象を行き来することが苦手」なのが要因の一つではないかということですね。
確率の問題に限っていうなら、確率の問題を解くのが得意な人であってもどのくらい理解して解いているかは微妙なものがあると思っています。単純にパターンを覚えていて解いている場合も多いんじゃないでしょうか(そうすべきと言っているわけではありません)。
たとえばあなたが具体的に挙げてくださった「3つのボールから2つのボールを選ぶこと」と「3人から2人を選ぶこと」は、本当に構造的に同じなんでしょうか。たとえば「ボールが白の碁石」だとしても同じですか。「3個の白の碁石から2個の白の碁石を選ぶこと」を考えてみてください(つまり、どの場合とどの場合を「区別する」「区別しない」ということが暗黙の情報として隠れているのではないかという意味です)。
一般に「数学ができない」人は、自分の理解力に対して不安や不信をいだいています。「びくびくしている」と表現してもいいです。与えられた問題に対して自分が何らかの違和感を感じたときに、たとえその違和感が正当なものだとしても「このような違和感を抱くのは自分の理解が不足しているからだ」という方向に考えが進みがちです。
その結果として「この問題で、自分はこのような違和感を抱きました。この違和感は正当なものだろうか。それとも自分は問題の何かを誤読しているのでしょうか。暗黙の情報として把握すべきことは何でしょうか」のように、自分の理解を言語化する習慣を持ちません。したがって自分の理解の度合いを言語化する練習を積むこともありません。
ものごとの理解はたいへんプライベートなものですから、学んでいる本人が自分の理解の度合いを教師に提示してくれない場合、よっぽど教師の経験値と洞察力がすぐれていないと「この生徒は何を誤解してこのような解答をしたのか(あるいはこの問題を解くことができないのか)」を見抜くことは難しいです。
あなたは「具体と抽象の行き来が苦手」といささか抽象的に表現なさいましたけれど、果たしてその生徒が本当に苦手なのは何なのか。もしかすると、自分の理解の状態がどうなっているかを内省して(メタ認知)それを言語化して教師に伝えることが苦手なのかもしれません。
もちろん、以上述べたことはあくまで私の勝手な想像に過ぎません。
これは余談ですが「生徒が目の前の問題をなかなか理解できないこと」と「教師が目の前の生徒をなかなか理解できないこと」とは、立場は違うけれどどちらも困難な問題にチャレンジしているのだと感じます。お互いに自分が抱えている情報を出し合って協力して学びの場が構成できればいいのですけれど。
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