「数学の問題に取り組むとき、あまり考えを巡らせないうちに答えを見てしまう」という習慣をやめたいということですね。なかなか難しいことですけれど、思うことをいくつか書きたいと思います。

あなたが高校生で受験勉強として数学をやっているのか、それと趣味で数学をやっているのかでだいぶ状況は異なると思いますが、前者だと想定してお答えします。

極端なことをいえば、すべての問題に自力で解答できるわけではないし、また数学の一問だけに時間を使うわけにはいきませんから、どこかの段階では答えを見ることが多いでしょう。ですから、どのくらいがんばればいいのかという程度問題になってくるはずです。

仮に自分にとってまったく歯が立たない難しすぎる問題に挑戦しているなら、根気強く取り組むといってもかなり無理があるでしょう。つまり、そもそも自分にとって適切な難易度の問題に挑戦しているのかなという判断は必要になります。適切な難易度の問題に取り組みましょう。

もしもあなたが、何か学んでいる最初に出てくる「基本問題」の段階ですぐに答えを見てしまいがちだとしましょう。問題集や参考書で「ここまで学んだ人は、この問題はすぐに解けるはず」という意図で書かれている問題の場合には、すぐに「答え」を見るのではなく、その基本問題の前に置かれている説明文をまず読んだ方がいいですね。その上でまた考え直すのです。

人によっては「N分だけ考えたら答えを見る」という勉強の仕方をするのが適切な場合があるかもしれません。でもこのN分が5分なのか60分なのか、もっと長いのかは何ともいえませんし、この方法だけが一人歩きするのも困ります。つまり、掛けた時間が重要なのではなく、その間に自分の頭をどのように使ったかが重要だからです。

答えを見たときに何を考えるかは非常に重要です。答えを見て「なーんだ、そうすればいいのか」と思うだけでは不足です。そうじゃなくて「どうして自分はこの答えに至ることができなかったのだろうか」や「どんなヒントをもらったら、自力で解くことができただろうか」のように考えるのです。

問題に挑戦するのも、答えを見るのも、どちらも「自分の理解がよりよい方向に向かうため」に行うことです。単に、問題を見ました・答えを見ましたというだけでは、問題に挑戦する意義がかなり薄れてしまいます。

ところであなたは「根気強く」と表現なさいましたけれど、根気強くどんなことに取り組むかは大切です。問題をじっと見つめて答えが見つかることはほとんどなくて、与えられた問題から小さな例を作ってみたり、少し式を変形してみたり、図を描いたり、与えられた条件をチェックしたり、という「作業」めいたことが必要になります。そのような「作業」をいくつ試すか、どれだけ深く試すかが大切です。またもちろん、ふだんの勉強においてもその「作業」の手札を豊かにしておくことが大事ですね。

ということで、あまりまとまりなく思うところを書いてみました。

私はよく《自分の理解に関心を持つ》という態度をスローガン的に述べます。これは学ぶ上で非常に大切なものです。メタ認知と呼ぶこともできます。数学の問題に取り組むときに、問題をよく観察すると同時に、問題に取り組んでいる自分の理解状況もよく観察するということです。あなたはいかがですか。

「すぐに諦めて答えを見てしまう」と観察できているのはすばらしいことです。それをもう一歩進めて「どうして私はすぐに答えを見てしまうんだろう」とメタ的に考えてみてください。単純に「根気がないから」と片付けないように。根気強くなればすべてが解決するわけではありません。いや、もちろん根気がないからかもしれませんけれど……たとえば、さまざまな試行錯誤をするのがいやなのか、試行錯誤をどうすればいいかわからないのか、方法を思いついても式変形などの技術的なところがうまくできなくていやになるのか、数学ばかりに時間を掛けてられないと焦る気持ちになるのか……そういう自己観察をやってみてはどうでしょう。

以上です。がんばってくださいね!

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◆《自分の理解に関心を持つ》(前編・後編)(結城浩ミニ文庫)|結城浩

https://mm.hyuki.net/n/nca5303eac345

◆学ぶときの心がけ|結城浩

https://mm.hyuki.net/m/m4e998a7b06c9

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