10兆円ファンド以前に、日本の研究者の資金獲得の点で、十分に指摘されていない点があります。このことは、誰が資金獲得をするか、の論点と関連しています。

日本学術振興会の科研費の充足率は多くの場合、7割です。わずかなトップクラスの枠を除けば、です。たとえば5000万までの申請の費目でも、申請をパスしても最大3500万までしか取得できないように「自主的」な額の上限が設定されます。言い換えれば、5000万までの科研費というのは、実際には3500万でしかない、ということです。多数の研究者が資金獲得できるように、という広く薄く、というポリシーが強調されます。ですが、これは多くの研究に実質的に大きな打撃を与えます。

たとえば単体での研究が2000万ほどの研究を2本組み合わせると独創的な研究が可能になるということはしばしばありうるのですが、3500万ではそれができません。以前、某帝大の学長にこうした問題を談判したことがありますが、返答は「工夫してください」でした。工夫できるレベルの金額ではない、ということをその方は理解していませんでした。

こうした事例が多数あるはずなので、充足率を高めることが日本の科学の進歩にわずかでもプラスになると考えますが(国際比較研究に携わっているので他国の資金の話を聞くことがありますが、中国、アメリカ、イギリスなどは日本の10倍ほどの資金があるように見えます)、今回の10兆円ファンド、というのは、こうした多発している問題を無視したり、検討の対象にせず、特定の選ばれた大学だけに豊富な資金提供をすることを目指しています。本当に必要としているところに資金を投入することになるのでしょうか。

「選ばれた大学」で何が起きるかを考えるとき、基本的に日本では研究者そのものが人数的に足りないことにまず思い至るべきです。例としてアメリカの巨大大学と日本の大学の研究者の数を比較するといいでしょう。また研究者の教育義務もひどく多い(科研で肩代わりできるようになったものの、目指した大学の先生が学部教育もしないで肩代わりさせている、というのは、アメリカの大学と異なり多くの大学では認めにくいと思います。研究大学と称しているけれども、大学から要請されるのは教育のことばかりで、コロナの時期にはこれで研究時間が激減しました。研究に対するサポートはなし)。

そうした中で、多額の研究費がつぎ込まれたとき、何が起きるか。モノを買う、建物を建てる、といった、研究の成果にどこまで結びつくか怪しいものも多い消費になるか、あるいは任期付き教員を大量に雇うといった、現在しばしば指摘されている雇用の安定性につながらない雇用形態を助長するか(そもそも研究者の数そのものが日本では少ないというのはこの点でも致命的だと思います。応募者の競争率が低いと質ががくりと落ちます)、あるいは特定の教員のバブル的な行為を助長するか(よく存じ上げている某帝大の若手先生は海外出張のたびに、バブリーな旅で、モラルハザードを感じます。これ以上言いませんが)。。。。

どこまでこうした問題を10兆円ファンドが解決できるのか、明快に主張している論者がいれば教えてください。

1年

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ikekenさんの過去の回答
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