質問読みながら関心する気持ちとう〜〜わ……みたいな気持ちで私もかなり悩んでしまいました。若い人たちが選挙の話をしているのは私もうれしいけれど、そこで国民民主が浮上しちゃうのは絶望的でもあります。国民民主の問題点を真面目に挙げるなら、優生思想を押し出していること(尊厳死推進派であること)、経済政策に関心が強いくせに高所得者への増税には消極的で、要するに金持ちをもっと金持ちにさせる方針であること、原発を増やすことに全政党のなかで一番積極的であること、の3点が際立っているかなと思うんだけど、その説明がどれくらい同級生たちに響くのかっていうのはよくわからないところもあります(尊厳死やお金がない人にも今以上に税負担がいくことや原発事故で故郷が消えることの恐怖は、若く健康な18歳には肌感覚として伝わりづらいかも、とかは思う)。ほかに使えそうな説得材料としては、保守は総じて同性婚に明らかに消極的なので、クィアな人たちが苦しんでいるのはおかしいよね?って聞いてみるのはいいかもしれない(今からだと間に合わないかもしれないけど、クィア系の問題については、支援団体に連絡して「うちの学校にポスターを貼ったり、講演会をしてほしい」とお願いするのも手です/協力してくれる先生がいるとなおいい!)。憲法のことを持ち出して、憲法が変われば戦争ができる国になって、徴兵制も復活するかもよ、と言うのも重要な問題提起ですよね。それでも通じない人には通じないかもしれないけど……。
でも、「私たちの世代でも社会は変えられない」と諦めるのはまだ先でいいと思う。それは社会運動をするとき(つまり、生きているとき!)に私も意識的に考えていることで、「もう足掻いても無駄なんだ」と思わせることこそ、保守が支配するこの社会の罠なのです。社会を変えようと思う民衆が絶望してすべてを投げ出したら、一番得をするのは権力者だからね。なので、社会を変えようと思うなら、まずは運動を人生レベルの長い目で見るべきかなと思います。社会運動に全力で取り組んだ結果としてすべてのエネルギーを失ってしまうことを「バーンアウト」と言うのだけど、私の周りでもバーンアウトを起こしてメンタルにダメージを受ける人は多くいたので、それには特に気をつけてほしい。革命は一夜にして全てが変わるものではなく、じわじわと伝播していくものだと、私は思っています。だからこそ、続けないといけないのです。
政治について語るのをやめないこと、一度悪い結果が出ても落ち込まないこと。何がどう転んでも、われわれは考え方の違う隣人とどうしようもなく共にあるのです。それを胸に留めて、お互い少しずつ発信できるといいなと思います。