生成AIが本格的に世に登場して、約3年が経過するといったところでしょうか。

もちろんそれ以前から、開発や研究、法整備などは粛々と進んできたのだと思います。

昨今、特にイラストや声優などの業界、Xで言えば出版社などからも「学習対策」や「学習や無断で声や絵を使われることへの反発」の声が止まないようです。

疑問なのですが、そもそも生成AIを開発、研究している人たち(エンジニア?)は、このような反発が起こるだろうことをどの程度まで予見できていたのでしょうか?

生成AIに限らず産業革命や自動車の登場、パソコンやインターネット、スマートフォン、果ては原子力などの莫大なエネルギーに至るまで、基本的に「技術、テクノロジー」というのは、「人間社会をより豊かに、より便利にするため」に開発、研究、存在するのだと考えますが、だとすると昨今の生成AIという技術は具体的に、「社会の誰のために、どのように、このために在れ」と望まれて生まれてきた技術なのでしょうか?

例えば自動車で言えば、「人や荷物を安全に、迅速に、大量に運べる、より遠くへ早く移動できる」といったように、我々はその便利さを具体的に知っています。

同時に「使い方を誤れば交通事故を起こすなど、人命に関わる取り返しのつかない悲劇をも引き起こす」というマイナス面も知っており、そうしたマイナス面を出来る限り払拭しかつプラス面を最大限に活かして社会を豊かにするためにルール整備や免許制の導入などを行って「自動車というテクノロジー」に向き合っていると考えます。

こうした点から考えますと、生成AIが「そのプラス面を最大限に発揮し、かつそのマイナス面を出来うるだけ抑えて社会を豊かにするため」には、そもそもどのように運用を考えるべきなのでしょうか?

そしてあらためて、今巻き起こっている反発の声に対して、どのように向き合うことが「社会として適切」なのでしょうか?

私の専門は歴史ですので

疑問なのですが、そもそも生成AIを開発、研究している人たち(エンジニア?)は、このような反発が起こるだろうことをどの程度まで予見できていたのでしょうか?

の部分だけお答えしますね。

テクノロジーはそれが開発された段階では未知数です。

たとえば有刺鉄線という発明があります。これはアメリカ合衆国の農場で牧場の動物を守るために作られたそうですが、この農家の人たちはこの道具が第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして現代のウクライナ戦争で多くの人命を奪うことになるとは考えもしなかったでしょう。

あるいは過去の歴史を見ても火薬は中国において花火として使われた一方、これが中東に渡り大砲に、そしてヨーロッパに渡り銃の誕生につながりました。

だからと言って中国の花火職人はヨーロッパで銃で犠牲になった人を想定したはずはありません。

さて、こうした観点でテクノロジーを眺めるなら有名な古典作品があります。

イヴァンイリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』です。

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480096883/

『コンヴィヴィアリティのための道具』イヴァン・イリイチ|筑摩書房

筑摩書房『コンヴィヴィアリティのための道具』の書誌情報

www.chikumashobo.co.jp

この本は1973年という古い時代に書かれた本ながら、現代が持つ問題に関してもほぼ触れていると考えていいでしょう。

本自体はAI、そしてインターネットの実用化前です。

他方、AIを待つまでもなく自動車や電気など「人間をふりまわすテクノロジー」は存在しました。

このテクノロジーとの付き合い方について考察したおそらく最も基礎的で役に立つ本として、今でも頼りになる本です。

こうした点から考えますと、生成AIが「そのプラス面を最大限に発揮し、かつそのマイナス面を出来うるだけ抑えて社会を豊かにするため」には、そもそもどのように運用を考えるべきなのでしょうか?

そしてあらためて、今巻き起こっている反発の声に対して、どのように向き合うことが「社会として適切」なのでしょうか?

という部分はまさしくこの本が問題とする所です。

この本は和訳された文庫版で256ページあるのでその考えすべてをここで書くことはできません。

ぜひこちらをご覧になり、質問者さんが考える「テクノロジーとの付き合い方」をイヴァン・イリイチを……

肯定するか否定するか、ともかく土台として考えていただきたいと思います。

26日

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