「投票の秘密」の理念には、単に「投票先を公開したくないと思った人が投票先を隠せる」だけでなく、「誰も自分の投票先を証明する手段を持たない」というより強いレベルの要請まで含まれていると考えます。これは票の買収や投票をめぐる脅迫を防ぐためのものです。

もし自分の投票先を書いた投票用紙を写真で取って公にすることが認められているのならば、横暴な社長は社員に対し「今度の選挙ではA候補に投票し、その証拠としてA候補の名を書いた投票用紙を写真で撮って公開しろ。それをしなかったらA候補以外に投票したとみなしてお前をクビにする」という脅しをかけることが出来てしまいます。A候補に投票した人は問題なく投票先を公開できるので、もしあなたが投票先を公表しなかったならば、投票先を公表しなかったという事実が、まさにA候補以外に投票したことを示してしまいます(少なくともそう推測して嫌がらせをすることが出来ます)。票の売買についても同様で、「投票先を写真で撮ってアップすること」を条件にして金を渡すことで、実効的に票が買えることになってしまいます。

こうしたことが生じるのは「投票先を公表する」という選択肢が与えられているために、「公表しない」という行動自体が脅迫や罰(あるいは買収なら金を払わない)の対象に出来てしまう点にあります。そのため、投票先の公表は一般に認められていないと考えられます。

投票の秘密の理念を理解するうえで、2002年フランス大統領選決選投票の事例は興味深いです。(以降、田村理『投票方法と個人主義』創文社に基づく)この決選投票は、(左派候補の共倒れという)番狂わせにより、現職シラクと極右ルペンの二人の間で争われることになりました。左派の人々はシラクにしか入れることが実質出来なくなったため、その不本意さを表明するために、「投票時に洗濯ばさみで鼻をつまむ」という運動を企てました。これに対しフランスの憲法院は、このデモンストレーションは投票者の行動によって他者に影響を及ぼそうとするものであり、投票の秘密に反する、と声明を出しています。

ここで示されていることは、「投票の秘密」とは、単に投票先を公権力が詮索しないというだけでなく、公的性質が強い投票において、各個人が「弱い個人」だという前提に立って公正さを担保するためには、有権者同士で投票所で影響を及ぼしあうことも排除しなければならない、という理念だということです。この理解に基づけば、「投票先の公開」が投票の秘密と対立しあうものであることは分かりやすいかと思います。

3か月

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白石直人さんの過去の回答
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