目から鱗が落ちるような角度からの質問で、考えたこともありませんでした。

this と that は指示詞として意味的に対立関係にはあるけれども同じ土俵で機能しているという事実を踏まえ、関係詞としても(用法は少々異なるかもしれないけれども)両語が使えるはず、という類推に基づいた発問と理解しました。素朴なようで複雑なハッとさせられる疑問で、感心しました。

この疑問に英語史の観点から端的に回答しますと、もともと this と that という語は現代英語のように明らかな対立関係を示すペアを構成していなかったという事実があります。現代では指示詞として this 「これ、この」と that 「あれ、あの」の明白な対立ペアをなしますが、もともと異なる出自だったものが、歴史を通じてペアをなすようになってきたにすぎません。しかも、指示詞としてはペアが成立したものの、接続詞・関係詞としては特にペアは成立せず、もともとの無関係のままに据え置かれて現代に至ったという事情があります。

質問は that の「接続詞」としての用法に関してですが、以下では接続詞の一種でもある「関係詞」としての that の用法に関して議論します。というのは、厳密にいえば両用法は相違しますが、this と that の関係に関する議論としてはおおよそ平行的に考えられるからです。

古英語からの流れを、理解しやすいように現代英語風の語形や用語を使いつつ、比喩的に解説してみます。まず古英語の指示詞 this は独立した語として存在しており、基本的に現代英語とまったく同じ用法でした。指示詞として用いられるのみで、関係詞としての用法はありませんでした。したがってこれ以上、特別な歴史的説明はありません。

一方、古英語の that は、それ自体では独立した語ではありませんでした。現代英語の定冠詞 the に相当する語の1形態にすぎなかったのです。具体的には、それによって修飾される名詞が中性名詞・単数・主格/対格に置かれている場合のみに用いられる the の屈折形の1つでした。例えば house 「家」は古英語では中性名詞でしたので、現代英語でいうところの The house is big. は古英語では That house is big. という言い方をしたということです。現代的な「あの(遠くにある)家」の意味ではなく、あくまで文脈上既出のため定冠詞 the で受けるという趣旨で、house がたまたま中性名詞・単数・主格だったために the ではなく that が用いられている、ということです。古英語の that は、多様な形式に変化し得る定冠詞 the の1形態だったということです。

that はつまり the の1形態でしたので、the のもつ様々な機能を担うことができました。古英語で the は定冠詞としてだけでなく関係詞としても用いられていましたので、that もまた関係詞として用いられました。that の当初の関係詞としての用法は、先にも触れた特質から、先行詞が中性名詞・単数・主格/対格に置かれている場合のみの使用に限られていました。ところが古英語後期にかけて、使用環境が拡大し、先行詞が何であっても使えるオールマイティな関係詞として発展してきました(現代英語でも関係詞 that はなかなかのオールマイティ振りを発揮していますが、それはこのルーツと関係しています)。いってみれば the の1分身にすぎなかった that が、それ自体で独り立ちできる語として成長してきたのです。この独立化の過程は英語史上の興味深い問題ですが、ここでは深入りしないでおきます。

こうして that は今や the から独立した語となりました。the から独立した勢いで、既存の指示詞 this 「これ、この」と明確に対立する指示詞 that 「あれ、あの」の用法も発展・確立させていきましたし、関係詞としても独立しました。一方、this はこのような that の経歴とはまったく関わらず、当初から指示詞一本で生きてきて関係詞の用法などとは縁もゆかりもありませんでした。このように this と that は、現在でこそペアを組んでいるように見えますが、生まれも育ちもまったく異なるのです。

これが that には関係詞(接続詞)用法があるのに this にはない歴史的な背景です。少し強めにいえば、むしろ両語が現代英語では指示詞として同じ土俵に立っているという事実のほうが、英語史上説明を要する案件となるのかもしれません。

関連して、回答者による「hellog~英語史ブログ」や「英語の語源が身につくラジオ (Voicy heldio)」より以下をご参照ください。

- hellog 「#156. 古英語の se の品詞は何か」 http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2009-09-30-1.html

- heldio 「#493. 指示詞 this, that, these, those の語源」 https://voicy.jp/channel/1950/398550

1年1年更新

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堀田隆一さんの過去の回答
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