「専門書を読むのに時間が掛かる」というのはまったくその通りです。同感です。そしてあなたがおっしゃるように「本格的に勉強するのは時間が掛かる」のもまったくその通り。同感です。

私はふだん数学的な読み物を書くことを仕事にしています。やや専門書よりの本を書くこともあります。そういう仕事の関係上「数学を学ぶ」ことは欠かせません。私は数学者ではないので、それほど深く学べるわけではありませんが、難しい内容にも自分なりに日々挑戦しています。

そんな中で、あなたがおっしゃる「時間が掛かる」にはもう共感しかありません。実際、時間は掛かるのです。数学書の場合、一冊の本を「読破」することはほとんどありません。それどころか、一ページの内容を理解するのに数日掛かることだって珍しくありません(そして後から自分の理解が結局まちがっていたことを知ったりすることもよくあります)。

たくさん学びたいけれど、時間が掛かってしょうがない。焦るのも無理はありません。

私はそのような状況にどう対処しているかというと、基本的にはあきらめています。つまり、何らかの方法で専門書をパパパッとすばやく読めるような方法を見つけようとは思っていません。無理だからです。理解するのに時間が掛かる内容に取り組んでいるのだから、時間が掛かるのは当然だ。私はそのように考えています。

ではどうしているかというと、自分が「これを学ぼう」と思ったことに「時間を注ぐ」ことを心がけています。要するに「時間が掛かるのだから、そのことを認めて、たっぷり時間を掛けることにしよう」と覚悟を決めているのです。

当然ながら、そのように考えると、あれもこれも同じくらいの深さで学ぶことはできません。ですから、題材を選択する必要があります。ただし、そのときに0%か100%かで考えるのではなく、いろんなことをちょっとずつ学ぶようにしています。いろんな話題、いろんな題材をちょっとずつ学ぶ。そのようにしてアタリをつけてから、これぞという題材を深く学ぶのです。そのようにメリハリをつけることが大事だと思っています。ただしこれはあくまで、私個人の考え方ですから、誰でもこのように考えるべきといってるわけではありません。

その「アタリ」をつけるときには、雑学本や一般書みたいなものも手に取ります。でも本格的に学ぶときには、やはり専門家の書いた本にあたって正しい理解になるようにつとめています。情報ソースの信頼度に応じて、そこに掛ける時間を調整しているともいえます。

先ほども書いた通り、私は数学読み物を書く仕事をしていますから、自分が時間を掛けて学ぶことは副次的な効果もあります。つまり、自分が苦労したところや、時間が掛かったところは読者にとっても苦労するところ、時間が掛かるところになる可能性が高いからです。本を書く上では、自分が時間を掛けることはマイナスではないのです。

それから、どうせ理解するのに時間が掛かるのだから、理解した結果はできるだけきちんと文章にまとめるようにしています。まあ、それが仕事としてのアウトプットでもあるわけですけれど。時間がないからパパパッと進むことは賢明ではないと私は思っています。そうではなくて、むしろ時間を多めに掛けて、自分の理解を文章にきちんとまとめることの方が役に立ちます。自分のその時点での理解を確かめる役に立ちますし、またあとから自分の理解を振り返る役にも経ちます。難しい内容を理解するのに時間が掛かるのだから、ちょっとくらい時間を余計に掛けてもメリットの方が上回るという考えですね。

以上、思いつくまま書いてみました。

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