かつての「進歩的文化人」の多くが、ほんとうに浮世離れした発言をするようになりました。なぜこのようなことが起きているのか。二つのポイントを指摘しておきます。

まず第一に、彼らの社会認識が1980年代ぐらいのままでストップしていること。言い換えれば、冷戦(1945年〜1989年)のころの思考を21世紀に無理に当てはめようとするので、「突拍子もないことを言っている」「浮世離れしている」とわれわれは感じるのです。

冷戦時代は米国とソ連という二つの超大国が対峙した時代でした。ベトナム戦争への反発から先進国では米国への批判が高まり、そのアンチとしての社会主義への期待も高かったのです。また日本は憲法で軍備を放棄したことや、米国の核の傘に入ったことによって、「軽武装・経済成長」の路線を邁進することができました。安全保障は米国におまかせしておけば良かったので、日本が独自に安全保障をゼロから考える必要がなかったのです。

そういう時代の構図のなかで、「ベトナム戦争のように戦争が好きな米国はけしからん」「資本主義はもう終わり」「豊かさより清貧が良い」「軍事などを研究すること自体が間違い」といった言説が一般的でした。いま振り返るとなんとも単純な二元論ですが、そのぐらいの単純さでも通用していたのが戦後日本だったのです。

ところがご存じのように、1989年に冷戦は終わり、21世紀に入って北朝鮮が核武装し、中国が強大な軍事力を持って台頭し、ロシアがウクライナに戦争を仕掛ける事態が起きました。経済面では、日本では長く続く不況に入って、どう経済成長を復活させるかが大きな課題となり「資本主義は終わり」「清貧」などと能天気なことを言っている余裕はなくなりました。

古い世界観のままの進歩的文化人はもはやその言説を保つ余地はなくなったはずなのですが、ここで第二の要因が登場してきます。それはマスコミです。新聞やテレビは社会に対する批判者ですが、誰からも批判されない。つまり「被批判者」にはならない存在で、これが「第四の権力」と言われる理由です。

インターネットからはマスゴミなどと呼ばれ、社会全体ではマスコミの影響力は低下していますが、アカデミア(大学研究者の世界)や文壇、芸能界などでは相変わらずマスコミの力は非常に大きく、「新聞テレビとそれを取り巻くアカデミア、文壇、芸能界」という閉じた空間では、ネットの影響力は極めて小さいのが実態です。ネットの書き込みなどしょせん便所の落書きぐらいにしか思っていない人たちの空間とも言えるでしょう。

このマスコミによる閉じた空間では、なぜか冷戦期の古い世界認識がそのまま温存されてしまっている。なぜなら批判されないからです。アカデミアからも(一部の若手研究者を除き)文壇からも芸能界からもマスコミは批判される事はありません。そしてそういったマスコミが、古い進歩的文化人をいまだに「知の巨人」として奉り、その閉じた空間の中だけで王者のように振る舞う。そういう異形の世界が現出してしまっているのです。映画「地獄の黙示録」に出てきたカーツ大佐の王国のようなものです。

その外側で、インターネットがどんなに「浮世離れしてる」「時代遅れだ」と騒いでも、カーツ大佐の王国はマスコミに守られてビクともせず、揺らぐことはありません。しかしそのあいだにも世界や日本はどんどん変化し、時代状況は大きく変容してきています。同じ「地獄の黙示録」で言えば、ベトナムのジャングルの奥地に住むフランス人豪族のように、外の世界を知らぬままに豪華な料理に舌鼓を打ち、酒杯をかわしているのです。

だからこの閉じた世界も、いずれは終わるでしょう。ベトナム戦争の敗戦とともにフランス人の豪奢な生活が終わったように。しかしそこに至るまでに外の日本社会に与える影響は小さくなく、そこはほんとうに頭の痛い問題ではあります。

なおこのあたりの詳細は、わたしの著書「この国を蝕む神話解体」(徳間書店)で書いておりますので、よろしければお読みください。

2024/03/23投稿
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