食とは先人の知恵を受け継ぐことに他なりません。

学問もまたそうだと思います。先人の知恵はエントロピー的にひたすら拡散していきますから、要所要所で誰かがそれを整理して束ね、次の時代に伝えていく必要があります。田原総一郎氏の存在は、その重要な収束点のひとつと言えるでしょう。

田原氏の朝食は亡き奥様から伝えられたものだそうです。この場合それは、その奥様が先人の知恵を束ね、田原氏に伝えたということになるでしょう。田原氏はまた、食べることには一切興味がなく元気に仕事を続けるために摂取するだけ、と言い切っています。すなわち専門外です。専門分野においては束ね伝える役割に邁進する氏が、専門外では最も身近な専門家であった奥様の知を素直に正しく受け継いだという、一貫性のある構図がここにあります。

その結果、食に興味がないはずの田原氏の朝食は、極めてオーセンティックに完成されたものとなっています。それは平たく言えば「絶対うまいだろうそれ」というものです。興味がないとは言いつつも、田原氏は毎朝それを楽しんでいるはずだと誰もが思います。実際そうでしょう。だから続いているのです。

ある若い学者さんが、食事には興味がないからレトルトカレーを冷たいままチューチューする、という話も話題になったことがあります。そこには先人の知恵を受け継ぐ姿勢はありません。学問にはそうする必要があるけど食にはその必要が無いと切り分けている態度と言えるでしょう。食もそうであると考える人からは、単に専門外の人が何かを発明した気になっている滑稽で不遜な態度としか見えません。そこが田原氏との大きな違いです。

田原氏は本の山に埋もれて「絶対うまい」朝食を摂ります。その様子は淡々としていますが、そこに喜びがあることは自然と伝わってきます。しかし田原氏にとっては、その喜びを遥かに超える喜びが本の山の中にあるわけです。信念を貫いたがゆえの、足す必要もなく引く必要もない幸せがそこにある。それが人の胸を打つのではないかと思います。

11か月

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