私が生まれた土地について答えるなら「住みやすい地域らしい」と応える程度でしょう。
私はアマチュア歴史学者ですので、出生地は単に調べやすいという理由で多少他の地域よりは多くの知識があるかもしれません。
愛郷心がないのは全く不思議ではありません。
むしろ「なぜ愛郷心があるのか」は歴史学でもしばしば研究対象になっています。
有名どころはやはりこれでしょう。
https://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100000722
言うまでもなく、郷土愛は自然に育まれたりしません。
もし自然に生まれるものなら、各地で郷土愛を育てようと教育やイベントをするのはなぜでしょう?
こうした行為そのものが、郷土愛は自然に発生しないことを物語っています。
そしてだから、歴史学の研究対象になるのですが。
https://sasatto.jp/article/special/kininaru/entry-6829.html
https://news.ntv.co.jp/n/sdt/category/society/sd6ffdd44149e24743a03cdbeb8b74835c
https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/466073
これらの記事の中では上毛新聞の記事が一番郷土愛の「下心」がわかりやすいでしょうか。
すなわち「郷土愛があれば都会に出ていかずに、地方にとどまってくれる」という”期待”が込められています。
あるいはまた上記記事にも含まれる通り「まちおこし」も郷土愛と相性がいいです。
「この地域を盛り上げるために◯◯を始めよう」という新事業に始まり、
それが継続すれば「◯◯はこの町の伝統だ」という風に、”作られた伝統”が歴史学ではまた問題になります。
私などはある伝統がいつ作られ、また人為的なものか自然発生的なものかなどを色々確認していますが、
自分が住む地域がどれだけ良い伝統を捨てて、適当な伝統を作ったのかを確認する度に大きな失望を味わったものです。
以上のお話をまとめますと、質問者さんが地域の首長や地域の大企業の社長等なら、郷土愛は持つ、
あるいは「持っている」と見せかける必要があります。それはあなたの利益になります。
他方、質問者さんがそうした地域無しに生きられない立場でなく、必要があれば移住できるなら、郷土愛を持つ必要はありません。
そして付け加えるなら、本当に地域のことを研究したなら「愛する」などと一面だけの感情は持てないでしょう。
どんなものにも好きになる部分と嫌いになる部分があります。
世間の言う郷土愛は「好きなものにだけ注目してほしい」という風潮で、あまり地域を知ろうとしないのだなと感じています。