分からないことがあったときに,結城先生はどのような考えで「自分で調べる」から「人に聞く」へ切り替えますか?
私は分からないことがあったとき,「自分で調べる」から「人に聞く」へ切り替える適切なタイミングが分かりません.
人に聞いて,自分で調べろと言われることが怖いです.そしてどの程度自分で調べれば相手にとって調べたことになるのか分かりまん.
例えば1時間くらい自分で調べてから質問しても,相手にとってはたった1時間で,2時間は自分で調べろと言われるかもしれません.
あるいは自分のGoogle検索やChatGPTの使い方が悪いだけで,相手にとっては調べればすぐに解決することなのかもしれません.
そう思うと質問したくてもできないことが多いです.
最終的に,数日調べて自分では解決しないなと思ったときに人に聞くことが多い気がしますが,明確な基準はありません.
人に聞けばもっと早く解決するかもとも思います.

結城先生の「調べるべきか、聞くべきか(教えるときの心がけ)」や「技術系メーリングリストで質問するときのパターン・ランゲージ」を拝読し,特に先輩社員と新入社員の場合についてはなるほどと思いました.
しかし,相手が仕事の同期であったり,仕事ではなく趣味で学んでいる技術のコミュニティ(Discordなど)ではどうすればいいでしょうか.
結城先生は「自分で調べる」から「人に聞く」への切り替えをどのようにされますか?

ご質問ありがとうございます。「質問のタイミング」「調べるべきか聞くべきか」の問題はなかなか難しくて、一概にいえない部分がありますけれど、あなたのご質問を読んで私が感じたことを何点か書きたいと思います。これが唯一の正解というわけではなくて、一つの考え方としてヒントになればうれしいです。

さて、最初に思うことは「決まったルールはない」ということです。たとえば何時間調べてから聞くのが正しいとか、できるだけ早く聞くべきだとか、いろんな考え方はあると思います。しかし「決まったルールはない」と思います。別の言い方をするならば「場合による」となります。

でもこれでは身もふたもありませんから、もう少し言い換えます。それは「質問の仕方の問題というよりも問題解決に対する姿勢」と捉えることができます。質問をどうするか、質問をいつするか、というのはゴール(問題の解決)に向かう途中の小さな一歩にすぎません。もっと大きな視点に立って考えることが必要になると思います。

「質問の仕方」の正解がどこかにあって、その「質問の仕方」に従って質問をするというのがのぞましい行動なのではありません。そうではなくて「自分はこの問題を解決したい」という問題があって、そのためにどんな手段があるかを考える。自分の頭や自分の時間を使うことはその解決のための方法だけれど、他の人に尋ねて、他の人の頭や他の人の時間を使うこともまた解決のための方法の一つである。いうなれば、自分や相手を問題解決のルートの一つだと考えるということです。さらに言い換えるならば、自分が苦労するかどうかや、質問して恥ずかしい気持ちになるかどうかというのは、問題解決の上で優先順位を下げてみてはどうか、ということにもなります。

そこまで考えてきて、もう一度あなたの質問を読みますと、次のようなポイントが引っかかります。

  • 人に聞く適切なタイミングがわからない。

  • 自分で調べろと言われることがこわい。

  • どれだけ調べたら調べたことになるかわからない。

これらはすべて「どうしたらうまく問題解決できるか」という視点ではなくて、「どうしたらうまく他の人とやっていけるか、どうしたら自分が正しい振る舞いをできるか」という視点にあるように思います。さらに、「自分にとって正しい振る舞いは何か」を他者基準に置くならば、さらに悩みや迷いは深くなるでしょう。さらに問題解決からも遠ざかります。

もしかしたら、上記の項目は「自分に対する全般的な自信のなさ」や「周りから外れてしまうことに対する恐怖」などから来ているものかもしれません。それがあなたの性格的なものなのか、年齢や経験によるものなのかまではわかりませんけれど。

さて、だいぶ想像を広げすぎた気がしてきましたが、私はどうかといいますと、あなたのように「人に聞くべきか否か」で迷うことは確かにあります。でもそれは、自分で調べろと言われるのがこわいというよりも「問題解決には自分で考えるのと人に聞くのとどちらが近いのだろうか」と考えるからのように思います。また、人に聞くにしても「自分としては何をどのように知りたくて、何のために何を調べたいと思っているのか」という情報整理を事前にしておかなくてはと思うからです。私の言いたいことが伝わっているでしょうか。

問題解決のためには自分のプライドや、自分の不安はたいへん邪魔になります。「こんなこともわからないのか」と言われるのが嫌なのは誰でもそうですけれど、それはさておき質問しなければわからないってことは山ほどあります。「自分で調べろ」と言われるのもいやなものですけれど、そのような自分の気持ちを乗り越えて質問しなければならないことはあります。

自分がいま抱えている問題は何で、調べたいことは何であるかというゴール設定をきちんと行い、そこに近づくためにはいま自分というデバイスを使うべきか、質問というプロトコルを通じて相手というデバイスを使うべきかを判断する。それを称して「場合による」と呼んでいるのです。

もうちょっとプラクティカルな話をすると、質問したときに相手から「自分で調べろ」と言われたときに「ああ!やっぱり早く聞きすぎた!もっと自分で調べてから質問すべきだった!自分はいつもそうなんだよな……質問の適切なタイミングがわからない……」のようにへにゃへにゃ……となるのではなく、そこをぐぐっと踏みとどまって「いや、私なりには調べたけれど、この問題の解決のためにはあなたに聞いた方が早そうだなと考えたんです」のように押し返すことができるかどうか。

いつもそんなふうに押し返せばいいというものではありませんけれど、たまには押し返してみてもいいのではないかな、と思うのです。

以上、あれこれ勝手なことを申しました。何かのヒントになれば。がんばってくださいね!

1年

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