■これからの時代に必要な力とは?
日本の現在の教育施策としては、質問者様のおっしゃる「スキル」や「知識」よりは、日本の教育が得意とし成果を上げてきたはずの、子どもが身につけた高いスキルや知識が、結果として社会で充分に発揮されているとはいえない状態のほうにフォーカスしています。そしてこの状態を次の三つの角度から捉え、この三つをなんとか改善しようと試みているところです(平成29年版学習指導要領改訂)。
1)知識が技能と結びついていないこと (=〔知識及び技能〕の課題)
2)知識や技能を扱う思考力・判断力・表現力等の定着に不足があること (=〔思考力・判断力・表現力等〕の課題)
3)1・2の力を民主主義社会で自らの将来と自分の暮らす社会の向上のため、自ら発揮しようとする意識付けが弱いこと (=「学びに向かう力、人間性」の課題)
■これまでの教育のどこに問題点が?
では、これまでの教育のどこが問題だったのでしょうか。
教員はだれもが、子どもの「わかる」「できる」を何とか確実に増やそうと努力しています。そのことは非常に尊いのですが、そこに〝スモール・ステップの罠〟が潜んでいたのです。
つまり、教員は細かく丁寧に手引きして、手厚いワークシートや指示で、今日の授業における「わかった」「できた」を子どもたちに確実に手渡そうとします。しかし、あまりに細かく先生から手引きされ指示された状態では、きょう「わかった」「できた」としても、明日ひとりで同じことを「わかる」「できる」段階には届いていなかったのです。これがよく言われる「指示待ち族」や「受け身姿勢」の問題を招いていたのです。
カレーの調理実習を例に考えてみましょう。先生が丁寧に道具と材料を揃え、わかりやすいワークシートと細かい指示をすることで、その日の家庭科室ではみんなが一斉においしいカレーを作れたとしても、果たして明日、独りで買い物をして、家でカレーが作れるでしょうか。また、そもそもカレーを作ってみようと思うでしょうか。これが、先に記した1・2・3の問題(すなわちスキル・知識自体よりも「コンピテンシー」[資質能力≒生きる力・生かす力]の問題)なのです。
■打開策は?
こうした問題を乗り越えるため、「教育システム」の改善として、まず小学校から高校まで、ほぼ全教科に1~3の3観点による観点別評価が導入されました。また、平成29年版学習指導要領も、各教科の指導事項が、この3観点に沿って統一的に整理されました(※ただ、各教科には異論もあります)。これに加え、カリキュラムや学習指導法の改善もいま求められています。
毎日の授業の改善点として、現在「主体的・対話的で深い学び」が教員の合言葉になっていますが、これはよい授業の3要素を言っているだけであり、おいしいおにぎりはごはんと具とのりからできている、と言っているようなものです。単に要素を挙げるだけでは、改善にはつながりません。では、どうすればよいでしょうか。
運動部活動にたとえていうなら、年間のカリキュラムをとおして、授業において「基礎練習」(習得)と「練習試合」(活用)と「対外試合」(探究)のベストバランスを探る必要があります。ただ先生の指示に従って基礎トレを積んだところで試合には勝てないしやる気も出ません。かといって、対外試合を常に行うことはできませんし、練習試合ばかりしていてもチームや個々が強くなるわけではありません。大事なのはその組み合わせのバランスを年間でうまくとることにあります。
調理実習の例でいえば、毎日の授業に例えば次の改善を施すことが〝スモール・ステップの罠〟から抜け出る策になります。(※こうした考え方の背景には「社会的構成主義」や「自己調整学習理論」の文教施策への導入があるのですが、ここでは、具体例を通した説明に留めておきます。)
Ⅰ 「目的」を子どもと先生が共有する。(例「『おいしい』カレーをめざすぞ!」)
Ⅱ 「目標」はⅠのもと、先生の助言を得ながらも、子どもが各自で設定する。(例「うちの班はコスパのいいカレーをつくります」)
Ⅲ 子どもが各自で「判断」できる機会を先生がいくつか与える。子ども(小集団あるいは個)によって判断が分かれると、授業は複線的に進むことになる。(例「コスパめざして、ミンチを用意します」「コスパをめざすなら、肉抜きのベジタブルカレーもやってみたい」など)
Ⅳ 「目標」と「判断」が真に自分のものになっているなら、子どもは自ら振り返れる。このときの自己評価は、単なる点数やABCを超えて具体的な言葉を伴い、自己評価する行為自体がもはや立派な学習として成立している。(例 「ミンチだと安いけど、食べ応えがないなあ」「野菜カレーはおいしいけど、何の野菜をどれだけ煮込むかで味がずいぶん変わるね」など)
運動部活動にたとえるなら、単に強いだけでなく生き生きしているチームは、総じて目的意識が明確であり、顧問の関与はあるにせよ、メンバーが集団でも個々でも長期・中期・短期の目標を立て、対外試合を見通して練習試合を設け、練習試合での気づきを基礎練習に反映させる自律的サイクルを有しているはずです。そうしたチームは、きっと「主体的」に動くでしょうし、チームメイトや顧問あるいは書物やデータベース(スコアブックなど)と「対話」を繰り返すでしょうし、単なる勝ち負け以上のものを対外試合や練習試合から「深く」学んでいくでしょう。そこで過ごしたメンバーはチームを出てからも、競技スポーツの世界だけに留まらず、広く社会の各所で貴重な人材として活躍できる力が身に付いているでしょう。
■日本の現在位置は?
このようなことが理想としては目指されているのですが、なかなか一朝一夕にはいかないのが難しいところです。実際にはもっと複雑な要素が多数からみ合い、単純な話ではないので、理想どおりには展開しないものです。
日本の学校は、1学級当たりの児童生徒人数が、OECD諸国の中では最もといっていいほど非常に多い部類に入ります。それでいて、単純にスキルや知識を問う国際学力調査では、常にトップグループに入っています。人口1億以上ある国全体の規模として、非常に安定した教育力を誇っています。それに飽き足らず、なお「身に付き方」にこだわって前進をつづけようとしているのが日本の現在位置です。
その理想は素晴らしいのですが、業務過多で学校現場は疲弊してもいます。こうした今めざす方向を、より実現性の高いものにしていくため、国民みなさまの、教育環境改善(特に予算措置)への深い理解と強い応援を、一関係者として是が非でもお願いするものであります。