何故一部の宗教は偶像崇拝を禁止するのですか?
これに関しては偶像崇拝禁止の成り立ちを確認するといくらか予測が成り立つかもしれません。
「偶像崇拝の禁止はモーセの十戒によって始まった」というのはおおむね正しい見方ですが、本質ではありません。むしろ”偶像崇拝絡みの殺人”が直後に表現されていることが興味深いですね。
民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。
アロンは彼らに言った、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」。
そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。
アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。
(略)モーセは民がほしいままにふるまったのを見た。アロンは彼らがほしいままにふるまうに任せ、敵の中に物笑いとなったからである。
モーセは宿営の門に立って言った、「すべて主につく者はわたしのもとにきなさい」。レビの子たちはみな彼のもとに集まった。
そこでモーセは彼らに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『あなたがたは、おのおの腰につるぎを帯び、宿営の中を門から門へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ』」。
レビの子たちはモーセの言葉どおりにしたので、その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。
そこで、モーセは言った、「あなたがたは、おのおのその子、その兄弟に逆らって、きょう、主に身をささげた。それで主は、きょう、あなたがたに祝福を与えられるであろう」。
以上が出エジプト記32章で表現される偶像崇拝の禁止と、偶像崇拝をした人々を殺害する描写です。
この場面だけ素直に読めば、モーセの集団にモーセと異なる意見を持つ集団がいて、その排除の手段として「像を作った」という話を持ち出したようにも読めます。
ユダヤ教は以降も偶像崇拝の禁止を維持しますが、ユダヤ教の後継であるキリスト教はこの教えを骨抜きにしているのは周知の通りかと思います。
ローマ・カトリックはイエスの像を作るのに熱心でしたし、ヴァチカンには神の絵すら描かれています。この辺の感覚はクリスチャンである私にもわからないお話です。
「システィーナ礼拝堂の天井画」画面右は神とされています。
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ではローマ・カトリックは偶像崇拝の教えをさほど守っていないとして、他のキリスト教の宗派はどうかと言えば、やはり不徹底な面が目立ちます。
ギリシア正教は西暦726年、皇帝レオン3世のもと像を崇めることを改めて禁じ、なあなあで済ませてきたカトリックと決別したというのは歴史の授業のお話です。
他方、ギリシア正教もまたイコンという宗教画が根強く、彼らが神と信じる所のイエスを堂々と書いています。以上のように、キリスト教においては偶像崇拝は不徹底な教義であるといえるでしょう。
なお、この聖像禁止の騒動は最初のモーセのお話と同じく「分断」の話であるのは注意をひきます。ギリシア正教から「カトリックは不徹底で、よろしくない」という批判の手段として偶像崇拝が持ち上がったのです。一応レオン3世の頃はイコンが一時的に質素になったりしたそうですが、イコンはその後も生き残ります。こちらもまた「排除のための手段」として偶像崇拝が使われたように思えます。
このことから、最初のご質問「なぜ偶像崇拝が禁止されたのか」には、「ある人々を集団から排除する際に有力だったから」を挙げておきます。
余談ですが、こうしたあやふやなキリスト教に比べ、ユダヤ・キリスト教の後継であるイスラーム教はかなり厳格に偶像崇拝を禁じています。
中東の歴史を描く際、映画監督がムハンマドの描写に困り、ムハンマドの影を登場させたという話がありまし。しかしムハンマドの影を表すことさえ問題だという批判も聞いています。この辺はイエスの像を作るカトリックとイエスの絵を描くギリシア正教と大きく違う点です。
預言者とその中のいくつかの論争に関する映画
https://voi.id/ja/lifestyle/42934
では二番目。
日本で偶像崇拝を禁じる宗教は、近いものがあります。
牛頭天王信仰です。
ここでいう禁止は「像を作ってはいけない」というより「作られた像を見てはいけない」という見ることの禁止です。これはこれでユダヤ、キリスト、イスラームとは別の理由が想像できて興味深いですね。
基本的に日本の密教と呼ばれる宗教群は御神体を隠し、御神体を見ることを極めて稀な出来事に抑えようとします。
なかでも、牛頭天王は異様です。この神はなんと顔を描くことが禁じられている…… あるいは、顔を描くと災いが降りかかると信じられています。
言ってしまえば牛頭天王は文字通りの疫病神、疫病の王にして神で、疫病を従わせて人々から遠ざけてはじめて益をもたらすことになるという恐ろしい神です。
増補新版 牛頭天王と蘇民将来伝説: 消された異神たち https://amzn.asia/d/6j0ELmQ
たしかこの本のお話だったと思いますが、牛頭天王の絵画のお話が載っています。
密教としての牛頭天王の絵画の中では、牛頭天王につらなる他の神は姿が全身描かれていたのに、牛頭天王の顔はわざわざ描かれた後、黒く塗りつぶされていたそうです。
また、牛頭天王に連なる社も「祇園さん」と広く親しまれたものは別として、
密教としての牛頭天王は社自体が隠されるように小さい規模で、可能な限り不便な場所に作られたというお話が載っています。
イエスを描いてもバチがあたらないのは周知のことですが、牛頭天王の顔を密教のまま描くと、実際になんらかの力が働くと彼を信仰した人々は考えたようです。