佐々木さんは、ご自身も大変なご苦労をされて成長され、努力を重ねて今の人生を手に入れられたのに、社会的弱者に対する眼差しが優しく、「生存者バイアス」があまり感じられないように感じるのは、どうしてでしょうか。

私は、やはり人は強くなければ生きていけないと思っているし、弱さを盾にして生きる人々が嫌いです。というのも姉妹の一人が、とくに障害もないのに幼少期から通学通勤社会人生活がしんどい、成長すれば借金返済目的で結婚しては相手を捨てて逃げる、自分が不幸なのは実家が悪い、社会が悪い、都合が悪くなったら自殺未遂を繰り返す、そして暇になったら陰謀論にはまる、と、もう絵に描いたような社会的弱者像で、独立してからは生活保護で暮らしています。その都度、他責思考の彼女に振り回され苦しめられる家族を見ていると、どっちが弱者でどっちが強者かわらかないというのが実感で、「弱者にやさしい社会を」というフレーズを聞くのが嫌になってしまいました。

私ともう一人の別の姉は、早くから独立して働きながら大学を出、結婚後も実家の借金返済を続け完済したので、弱さを立てに戦わない人が心の中では許せません。また次元は変わりますが、寝たきりの高齢者や、意思の疎通もできない重度障害者にも社会保障費を湯水のように使ってただ生命を存続させる、というテーマについても、正直どう向かいあったらいいのかわかりません。

どうしたら私は、この根深い生存者バイアス思考から脱却できるでしょうか。やまゆり事件にもつながりかねない危険な質問かもしれませんが、可能であれば、「それじゃあ優しくないから」という感情論ではなく、「多様性に富まないとDNA的に絶滅するから」といった生存論的な次元から考え方の変わるようなアドバイスをいただけると嬉しいです。

恥を忍んでお伺いします。どうして私たちの社会は、弱者をどこまでも包摂していかなければいけないのでしょうか。よろしくお願いします。

多様性は人間社会の存続のために必要、だから弱者包摂も大事……というのはよく言われるところです。わたしもこれに同意しますが、しかしこの論は全体最適化のマクロ視点であって、ひとりひとりのミクロの視点を皮膚感覚的に納得させてくれるものでもありません。

だからここではミクロの視点で語りましょう。わたしが弱者に対して厳しい目を向けることができないのは、「自分もそうなったかもしれないし、今後もそうなるかもしれない」という不安に常に突き動かされているからです。これを「入れ替わり可能性」とわたしは呼んでいます。

1949年という終戦間もないころに公開された黒澤明監督の「野良犬」という映画があります。三船敏郎演じる若い刑事がバスの中で拳銃を盗まれ、犯人を捜して東京の街を歩き回るという物語です。犯人の姉にたどり着いて話を聞くと「あの子は復員してからすっかり人間が変わっちまって…。復員の時に汽車の中で全財産のリュックを盗まれて、それからグレだしたんですよ」という。これを聞いて主人公はショックを受けます。彼自身も同じ復員兵で、やはりリュックを盗まれて絶望的な気持ちになった経験があるからです。

主人公は同行してくれていた先輩刑事に語ります。「ひどく無茶な毒々しい気持ちになりましてね。あの時だったら強盗ぐらい平気でやれたでしょう。でも、ここが危ない曲がり角だと思って、僕は逆のコースを選んで、いまの仕事を志願したんです」。そしてまだ見ぬ犯人について、こう言うのです。「僕は、悪いやつは悪いというようには考えられないんですよ。長い間戦争に行ってるあいだに、人間ってやつがごく簡単な理由でけだものになるのを、何回も見てきたもんですから」

この映画を30代になってから初見して、わたしは「これは自分もそうだ」と思いました。もちろんわたしは復員兵じゃありませんしリュックを盗まれた経験もありませんが、わりに悲惨な子ども時代を経験しています。父親が知人の借金の肩代わりをした揚げ句に夜逃げし、さらには父親の周辺の人たちがひとり暮らしをしていたわたしのところに来ては、父親へのひどい中傷を残していきました。「親切な良いおじさん」だと思っていた人たちが豹変するのを目の当たりにしてしまったのです。

多感な思春期にこういう経験をして、「人間はつねに善と悪の間で入れ替わる」「どんなにいい人だって、環境が変わればつねに闇堕ちする可能性がある」などということを心に銘じるようになりました。だから、卑怯で小ずるい人間だったり、他責思考にはまってしまうような人を黙殺できないと思うようになったのです。人間は経済問題などで転落し、闇堕ちすれば容易に人間性もダメになっていくのです。もともとダメな人がいるのではなく、環境が人をダメにするのです。

わたしは運が良かったので、そうはなりませんでした。小中学校と悲惨ないじめを経験しましたが、地元の優秀な進学校に進むことができて、人間関係が一変しました。大学ではドロップアウトしかけましたが、新聞社に滑り込むことができてかろうじて真っ当な社会人になることができました。40歳を過ぎてフリーランスになった時も、偶然にも出版不況がやってくる直前の時期で、無事に独立することができました。いずれもただ運が良かっただけです。ちょっとでも運が悪いことが重なっていれば、まったく違う人生になっていたことでしょう。

これがわたしが弱者包摂をしなければならないと考えている理由です。

3か月3か月更新

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佐々木俊尚さんの過去の回答
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