小川さん、YouTubeで小川さんを知りました。いつも素晴らしい内容の動画ありがとうございます。

中2の息子がいるアラファフの主婦です。その息子の事で相談があります。

息子か学校から学習障害なのでは?調べに行ってみては?と中1の秋に言われました。先生が言うには、字が汚い、忘れ物が多く、勉強ができない、特に漢字が覚えられないのは学習障害の症状だと。漢字が苦手でしたが、学習障害は小学生のうちに学校側から言われるものだと思っていたので、この時期に、障害なのでは?と言われて私も主人も驚愕し動揺しました。ただ主人は息子は障害でなないと認めたくないようで病院で検査するのを怖がっています。息子は障害だと知ると言い訳して勉強しなくなったり、精神安定剤を飲まされたりするのか…とかいろいろ不安がよぎります。鈍臭いので学校には友達がいないようです。ただ登校だけはしてくれています。よく友達がいないのに頑張って行ってくれて…と思っています。

息子が障害だったら…という現実と、息子の将来の不安と、親としてどうしたらいいのかわかりません。本当にどうしたらいいのかわからなすぎて私が壊れています。

今回は「障害」を哲学してみたいと思います。お話をうかがった限りではまったく問題ないと思います。私も工業高専や大学で色々な子どもたちを見てきましたが、似たようなタイプの子はたくさんいました。そんな彼らも中学時代や高校時代を乗り切っています。社会人にもそういう人はたくさんいます。何を隠そう、私自身相当問題があります。字は汚い、忘れ物は多い、勉強はすごくできるものとまったくできないものが両極端です。おまけに名前を覚えない、事務処理が嫌いかつ苦手。書類の整理などはひどいものです。もう数え出したらきりがありません。世間ではそういう傾向を学習障害だとか発達障害だとかいってやたら障害にしたがります。その方が本人のためだというのですが、それをありがたいと思うか迷惑に感じるかは人によると思います。周囲に理解してもらって適切なサポートを受けるために障害であると認定するわけですが、別に本人が望まなければそんなことをする必要はないでしょう。芸術家や起業家、研究者には発達障害の人が多いといいます。自分で公表している人もたくさんいます。特に有名人の場合公表する人が多いですね。なぜか? 自信があるからでしょう。アスペルガー症候群であることを公表したイーロン・マスクはその典型例です。そもそも彼らは社会的に成功しているわけですし、本人も本当は病気だとか障害だなどと思っていないのではないでしょうか。すべては個性であって、それを生かして活躍できていればなんら問題ないはずです。むしろ多様な個性に合わせることができない社会の方に問題があるのです。これはあらゆる障害についていえることです。歩けない人でもまったく困らない社会になれば、足の不自由な人はもはや障害者ではなくなりますよね。知能や性格についても同じことがいえます。この世の中は多様性とかダイバーシティとかいいながら、まだまだ不十分なのです。だからたくさんの「障害」を生み出して、サポートしなければならないと思い込んでいます。でも、本当は逆なのです。サポートが必要なのは社会の方です。どんな人でも普通に生きることができる社会をつくることが先決です。その意味で、障害とは社会の不十分さを個人になすりつける発想にすぎないと思います。何かができないために、どうして卑屈な思いをしなければならないのでしょうか? みんなと同じことができないのは、本当に本人のせいなのでしょうか? どうか世間の基準に振り回されないでください。すべての人間は個性を持ったかけがえのない存在です。決して卑屈になることなく、お子さんが生き生きと活躍できる場所や仕事を探してあげてください。必ず何か見つかるはずです。あと、友達も人生には必須ではありませんので、ご心配なく。

2年

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