うま味を含めた濃い味付けの食べやすくて満足感のあるコンフォートな食べ物は、万人に理解されやすいおいしさを持っています。それに対して濃い味付けに頼らないフレイバー重視の食べ物は、味わうのにちょっとしたコツが必要です。(このあたりは三浦哲哉さんの受け売りです)

このコツを身につけるには、ある種の素養、もしくは鍛錬、もしくはその両方が必要です。食べることを趣味に据えた人は自ずとその鍛錬を繰り返すことになるので、どんどんそのコツを身につけます。

また、このフレイバー重視のおいしさは、外食においては大衆店より多少アッパーな店に多く存在しますから、そんなお店に気後れすることなく足を踏み入れておいしさを理解できるようになったことも自己肯定感を高めてくれます。

 

そういったことが、このレビューの方のような人々にとってはプライドの拠り所となります。これは、ここまではいいんです。趣味に没頭することで理解力が深まり行動範囲が広がるというのは、どんな世界でも素晴らしいことだから。

問題はこのフレイバー寄りのおいしさを理解できるようになった人が、「自分は上位者である」と誤認してしまうことです。またその場合しばしば、理解できるように「なった」のではなく「元からそうだった」と、経歴詐称ないしは記憶の改竄も行われます。しれっとセレブの仲間入りをしてしまうわけですね。

フレイバー寄りのおいしさが偏在するのは、アッパーな外食ともうひとつは伝統的な(古くさい)家庭料理の世界ですから、それは「育ちの良さ」も示唆できて一挙両得です。

 

確かにそれは趣味の世界では上位者と言える部分も無いではないかもしれません。しかしその価値観をそれ以外の世界に適用しようとするのは問題です。例えば映画マニアがそうでない人を急に引っ張り出してきて「あなたは高尚な映画を理解できないし観もしないからダメなのである」と言い始めたとしたらかなり地獄っぽい状況です。この行動パターンをもう一度食の世界に当てはめ直すと、それはつまり海原・山岡コンビです。つまり身も蓋もないことを言えば、その種のマウントをとってくる人は、海原・山岡ワナビーなのです。

 

この「食マニア(自称グルメ)が自分を(趣味の世界だけなら百歩譲ってまだしも)社会における上位者と認識してしまう」というピラミッド型の妄想世界においては、濃くてわかりやすいコンフォートなおいしさの大方は下位社会に属するものであり、上位者である「我々」には縁がないもの、ないしは粛清・矯正せねばならないものとするしかなくなります。地獄ですね。

ちなみに粛清すべきコンフォートとそうでないコンフォートを区別する方法なんて無いはずなんですが、そこを無理やり区別するために強引に設けられた指標が「化調の有無」でした。もうなんかめちゃくちゃです。

 

実際のところは、食マニアとは上位者ではなく周縁の民です。世界像はピラミッド形なのではなく円形で捉えるべきなのです。食マニアは中心部分にあるコンフォートを基本とする最適解の領域から、フレイバー寄りにも守備範囲を広げただけにすぎません。だからその中心部分を否定する理由もないのです。重要度は相対的に激減するかもしれませんが。

 

最後に、この元のレビューはまた一際味わい深いですね。オリーブオイルは油脂に入らないタイプの方なのでしょうか。そもそもナポリピッツァなんてラーメンなみにコンフォートな食べ物だと思うのですが。現地風ならなおのこと、化調すら不要なレベルのパワフルさです。この方にとってはそれがラーメン屋さんではなくアッパーな?レストランで出てくる時点で「こっち側」の食べ物というジャッジになるのでしょうか。

2か月

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イナダシュンスケさんの過去の回答
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