とりあえずその女性には、一生パスタのソースが足らなくなる呪いをかけておきましたのでご安心ください。
それはともかく、世の中にはどうして誰にとっても一文の特にもならない、何なら自分の評価まで下げるようなことに無駄なエネルギーを使う人がいるんでしょうね。まあ他人を不快にさせることで喜びを得る異常者もしばしば存在しますが、今回の話はそういうものとも少し違う気がしました。
「若い女性が時折見せる独特の残酷さは(過剰とも言える)自己防衛本能である」というのをどこかで読んだことがあります。(出典不明なので話半分で読んでください。)これはその典型的なパターンなのかなと思いました。「自分が属する集団以外は全員が敵」という古典的ヤンキーマインドと重なる部分もあるのかもしれません。質問者さんはきっと、彼女にとって、その存在意義を脅かす存在だったのです。
ひとり颯爽とレストランでこなれた振る舞いで楽しむあなた、ケチることもなくワインを飲み続けるあなた、それは彼女にとってはある種の脅威だったのではないでしょうか。自分にはああいう振る舞いはできない、自らああいうお金の使い方もできない、それは自分が劣っているということなのではないだろうか、いやいやいやそんなことはない……ないはずだ……ないと言ってくれ、少なくとも隣の彼には絶対にそう思われるわけにはいかない……。
自分が勝っているところがあるとしたら、あいつはボッチだけどわたしはそうではないことだ。ボッチは自分達の集団内の価値観としては蔑むべき存在である。しかしここで「あの人ひとりで食べてるプークスクス」でマウントを取るのは、こういうレストランにおいては悪手である。その程度の世間知はある……
あ、あいつパンをおかわりしやがった。しかもそれを皿になすりつけてる、よくわからないけどもしかしたら今こそが千載一遇のチャンスなのではないか。蔑むべき者を蔑んで何が悪い。あいつはわたしの上位者であっていいわけがない。わたしの方が上位者だ。それを今ここで明確にせねば自分の存在は脅かされる……
というわけで、彼女は過剰な防衛本能に突き動かされるまま、異様な行動に出ました。これがこの話の顛末です。隣の彼は、そんな彼女にちゃんと話を合わせてあげる心優しき(心弱き)者だったのか、それとも単なる同じ穴のムジナ的ヤンキーマインドだったのかはわかりませんけど。
そこには今の若い世代でレストランでの適切な振る舞い方が継承されていない問題もあったりするような気がしますが、ともあれ質問者さんは、そこで悲しむ必要はなかったのです。パンのおかわりをやめて追加オーダーをしたとしても、かえって憎悪と怯えは増し、別の角度からの攻撃が(不器用に)思案されただけでしょう。
だから質問者さんは本当はその時、「哀れっすなあ」と彼女に同情し、最後まで悠然と食事を楽しめば良かったんだと思います。僕もだんだん哀れみを感じてきました。彼女は彼女なりに、いつかそのアイデンティティを揺るぎのないものにできる日まで、生きづらい今を必死に生きていかねばなりません。
かわいそうになってきたので、呪いは取りやめにして、式神は呼び戻すことにしました。ご安心ください。