卵黄が散って濁ったつゆが苦手、という感覚自体はわからないでもありません。しかしこれは「覚悟を決める」ということで別の世界が見えてくるかもしれません。この場合の覚悟とは、
「今から食べるのは、素うどんに生卵をトッピングしたものではない。『月見うどんという料理』なのだ」
というようなことです。
拙著『おいしいもので できている』から、月見うどんに関する一節を抜粋しておきます。
卵料理が好きです。そして僕が思う世界最高の卵料理、それは
「月見うどんの卵黄を破ってうどんをすする最初の一口」
です。
ダシの熱で程よく温まり、微かに粘度を増しつつも部分的に冷たさを残した卵黄、そのミルキーな香りと濃厚なコクをダシの旨味が下支えし滑らかなうどんに纏わり付く、一口の愉悦。すすり切る直前に初めて感じる、うどんの端に引っかかった無味に近い卵白の滑らかなテクスチャーと咀嚼後からそれを引き締め始める葱の香味。コンマ数秒の間に濃密なドラマが展開し、卵という食材の魅力があらゆる角度から引き出される立体感は、まさに唯一無二のものです。
〔中略〕
最初の一口を堪能した後の月見うどんがつまらないものであるかと言うと、まったくもってそんな事はないのです。残された卵黄はあっという間に全体に拡散し、最初透明だったダシは白濁します。ダシ全量を200〜300ccとすると、卵黄の成分比率はせいぜい5%程度ですが、味わいははっきりと変化します。ブラックコーヒーにほんの少しの生クリームを落としただけで、味わい、特にまろやかさが劇的に変化するのと同じです。さらに、生の状態では決してそれ自体がおいしいとは言えない卵白も、時間経過によりいつのまにか白くふわふわの鰯雲のような別の魅力的な食べ物に変化しています。
19日