大学一年生の頃、私はむさぼるように本を読みました。少しでも自分のアンテナに引っかかってきた本を、図書館から借り出し、また大学生協の書籍部や大型書店に出かけては、買えるだけ買って読んでいました。これを二年ほど続けました。学部三年生以降は、専門の中国語の本を読むようになったので、そういった「濫読」から次第に離れましたが。

 さて一年生にして、もう専門書をお読みですか。専門書と一口にいっても分野によって様々でしょうが、人文系の場合、一般的には研究論文を編集した、注釈と参考文献とが充実した書物、ということになるでしょう。その前提でお答えします。

 私の場合、「濫読」時代には、ノートはとりませんでした。少しでも早く、たくさん本を読みたかったからです。線すら引きませんでした(急いでいたので)。ただその代わり、読んで印象に残った内容や、その本に対する自分の意見や感想を、まわりの友人などによく話していました。何らかのアウトプットが必要だったのでしょう。聞かされる側はずいぶんと迷惑だったでしょうが。

 中国古典の原典や研究論文を読むようになってからは、要約をしたことはありませんが、本に線を引き、様々工夫をして、手書きのノートを作っていました。B6版のいわゆる「京大カード」が主です。それについては、古い本ですが、梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波書店、岩波新書、1969年)を参照してみてください。デジタル時代のいまでも、参考になるところがあるように思います。 https://amzn.to/3OoMxBB

 ノートをとる目的は、一応、明確化しておいたほうがよいと思います。何のためなのか、ということです。もし内容を記憶に留めたい、ということであれば、いまならば、ブログや「読書メーター」などのサービスを使って、ウェブ上に発言をのこしておくのがよいと思います。私は、その意味もかねてブログを書いているのですが、結構、書いたことは忘れないものです(知り合いに向かって話す、というのの延長です)。

 そうであれば、ブログ記事に一章ごと(あるいは一節ごと)の要約を載せ、自分の簡潔なコメントもあわせてつけておくとよいでしょう。あとは、専門書の場合、そこに引用されている資料とか論文とかが重要なので、それは、むしろデジタルで整理しておくと後々有効に利用できます。

 記憶目的ではなく、論点を整理しておきたい、ということであれば、その書物のキーワードや固有名詞を抜き出して、「マインドマップ」にする手もあります(マインドマップについて知りたい場合は、あらためて質問してください。もしくはウェブ上の情報を検索してみてください)。

 時間をかけてもっと厳密に考えてみたい場合は、原文を抜書きしておくことをお勧めします。いまでも私は、古典の本文や、研究論文の印象深い一節などをノートに書き写しています。なるべく品質のよいノートに美しく書写するのが理想です。繰り返し見返してこそ、意味が生まれるので。

 あるいは、疑問点が気になる場合は、それだけをまとめておく仕方もあります。これは、レポートや論文を書く際に大きな力を発揮します。その疑問点のなかに、重要な問題が含まれていることがあるからです。ただ勉強を始めた当初は、自分に何かどうわかっていないのか、明確化することは普通難しいでしょう。

 手書きであれデジタルであれ、ノートをとるのは生産的なことです。主要なアウトプットの手段ですから。インプット(読書など)のみをおこない、アウトプットしないのは、明らかにバランスを欠く行為であり、私は不健全だと思います。自分で納得ゆくまで、ぜひいろいろと工夫してみてください。

2023/05/20投稿
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