ご質問が不明瞭なため一旦内容を整理して回答しますね。
ご質問の意図はどうやら「世界には2000-3000もの宗教がある。そのことに対し、宗教上の矛盾などは感じないか」のようですのでその線で回答しますね。

なおこうした補足を除いて「たくさん宗教がありますね」という”質問”なら、「そうですね」宗教者だろうと無神論者だろうとそう回答するでしょう。
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ご質問に対してもっとも強く回答できるのはヒンドゥー教でしょう。なぜならかの宗教は「化身」という概念を持ち、他の宗教を統合する力があります。

たとえば私達は仏教は釈迦が開祖であり、釈迦に習うことが仏教だと考えているでしょう。

この考えはヒンドゥー教と対立するでしょうか? 答えはNoです。

なぜなら釈迦はヒンドゥー教のシヴァ神の化身であって、つまり「仏教徒とはシヴァ神の信者である」というのはヒンドゥー教的解釈なのです。
もっといえばシヴァ神が「本体」なのですから、「化身」である仏陀を信仰するのは行儀が悪いとも考えられているようです。まあもし仮に仏陀がシヴァ神の一側面に過ぎなら、素直にシヴァ神そのものを信仰した方がよいというのはその通りでしょう。

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ヒンドゥー教に限らず、古代の時代から人々は自分達と違う信仰があることを知っていました。そのためたとえばギリシア神話ではエジプトの神々を「彼らはみな動物の姿をした神だろう。あれは我らがギリシアの神が怪物テュポンから逃れ、動物に変身した時の様をそのまま信仰しているのだ」と、こう説明しています。

キリスト教でも外典ですが『トマスによるイエスの幼時物語』の中で同じ質問、すなわち「神がこれだけ世界にたくさんいることと、我々が信じる神が同居しているのはどういうわけか」という質問がでています。これに対しイエスは「神は我々が信じるものが本物だが、物に影があるように複数の視線から見ることができる。他の地域で信じられる神とは我らが神の一側面なのだ」と回答する場面があります。外典のお話ですので現在のキリスト教の見解とはいえないでしょうが、『トマスによるイエスの幼時物語』が書かれた時期にもこうした問題意識はあった訳ですね。

6か月

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