以下、ややお説教くさい部分がありますので、そういうのが嫌だったらごめんなさい。
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「他人と自分とを比較する」ということをまったく行わないのは不可能なことじゃないかと思います。
あなたが「人と比べてしまう癖をなおしたい」と思う理由を勝手ながら想像してみます。必要以上に他人と自分とを比較してしまい、自分よりも優れた能力を持っている人をねたましく思ったり、あるいはうまくできない自分に幻滅したり、といった不愉快な思いをするからじゃないでしょうか。もしかしたら、自分よりも何かができない人を見て、優越感に浸ってしまう自分が嫌になるというケースかもしれませんけれど。
「他人と自分とを比較する」という行動を単純な「癖」のように考えるのではなくて、意識的にやっている行動だと考え、それを精密に観察することをおすすめします。
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試しにやってみます。
「他人と自分とを比較する」というときには、通常、所有物や行動や成果物や達成したことを比較することが多いんじゃないでしょうか。仮に所有物だと考えるなら、具体的にいうと「あの人は●●を持っているが、自分は●●を持っていない」という事実があるわけです。そしてその事実に加えて「●●を持っているのは優れている人で、持っていない人はダメな人だ」という法則を心に抱いており、そこから結論として「だから、自分はダメなんだ(がっかり)」という感想を抱いてしまうことになります。
つまり(がっかり)に至るまでには何段階かありますね。
①比較する→②事実を認識する→③法則と照らし合わせる→④がっかり
確かに①の「比較する」というのをストップすることができるならば、④のがっかりに至るのを防ぐことができます。でも、よく考えてみると、③の法則は正しいんでしょうか。つまり、「●●を持っているのは優れている人で、持っていない人はダメな人」という法則は真理なんでしょうか。
もしも③のような法則を心に抱いていたならば、たとえ比較することをやめたとしても、何かの機会で、結局は④のがっかりに至るのではないでしょうか。そんなふうに思います。
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ここまで考えてくると、自分自身に価値があるとか、私は大丈夫であるとか、ともかく自分が生活していく上での「自尊心」のようなものが何に基づいているかの点検をするのが大切になってくるように思います。
自尊心が、持っている所有物や行動や成果物や達成したことにぴったりとくっついているならば、どうしても比較にともなって「がっかり」したり、あるいは他の人をみて「この人よりはマシ」みたいな発想になるでしょう。
でもよく考えてみますと、持っている所有物や行動や成果物や達成したことに関して、自分よりも優れている人は世界中にほぼ確実に存在するわけです。たまたま目の前に比較相手がいないだけでのことです。
ですから、自尊心や自分の価値を、所有物や行動や成果物や達成したことと「分離」することが、本質的に重要なのではないかなあと思います。
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もちろん、そんなに達観したことがほいほいとできるわけではありません。しかし、考える方向性や頻度というものがあります。
自分が誰かの何かと比較して「がっかり」という状況になったときに、「いやちがう。確かに自分は●●は持っていない。それは事実だけれど、だからといって自分のすべてがNGなわけではないのだ」と思うこと。繰り返し思うこと。それが大切なことなんじゃないかと思います。
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なお、「他人との比較」で悩む人はたくさんいらっしゃいます。以下にいくつか関連する読み物をリンクします。
◆自分より優秀な人を見るとつらい(人生を歩む)
https://mm.hyuki.net/n/nba23325211e7
◆趣味で書く小説、どうしても他人と比べてしまい書けなくなった(文章を書く心がけ)
https://mm.hyuki.net/n/nde9991962247
◆研究で、できる人との差がつらい
https://mm.hyuki.net/n/neba3c9c43b4b
◆理解に関して他人と優劣を比較しない(学ぶときの心がけ)
https://mm.hyuki.net/n/n59f4e12392f2
◆クリエイタは「うらみ」と「うらやみ」にエネルギーを奪われるな