クリスマスケーキの時期になりましたが、ケーキに乗っているフルーツは少なければ少ないほど美味しい(ものであるべき)と考えています。

ショートケーキのようにイチゴだけ申し訳程度に乗ったものや、チョコレートケーキのようにチョコレートが添えられただけならまだしも、メロンやぶどうなどの旬のフルーツを大量に乗せたり、層と層の間にまで多種多様なフルーツを詰め込んだケーキを見ると食べる気が失せてしまいます。

決してフルーツは嫌いな訳ではなく、フルーツもケーキも好き(タルトも嫌いな訳ではない)なのですが、フルーツはフルーツ、ケーキはケーキとして食べたほうが美味しいし、パティシエとしても本当はケーキそのもので勝負したいと考えているのではないかと邪推すらしてしまうのですが、稲田さんはどのようにお考えでしょうか。

僕も基本的には質問者さんと同じ感覚です。生のフルーツぎっしりのケーキには惹かれません。コンポートなど火を通したものなら少し別ですが。

いちごショートも同じ理由で子供の頃から訳がわからんと思っていました。決して嫌いというわけではないのです。とりあえず上のいちごは最初の一口でそれだけ食べて無かったことにする必要がありますが。

ホールのケーキで無難なものを選ぶ選択肢ならまだしも、ケーキ屋さんにはあんなにいろいろ魅力的なケーキが並んでいるのに、なぜそこからあえていちごショートが選ばれるのかは、長年の謎でした。なのである時お菓子の専門家にその質問をしたことがあります。

日の丸弁当は常に日本人の原風景として心の中にありつつ、もはやそれを好んで食べる人はあまりいない。他においしい選択肢がいくらでもあるからだ。いちごショートはなぜ今だにケーキの中心であることが求められているのか、と。

すると答えはこんなふうでした。

結局あれは、たとえガラパゴス的だったとしてもケーキの基本なのだ。パーツそれぞれのクオリティとそのバランスに、ケーキが備えるべき全てが備わっている。パティシエにとってもそこで技量が試される大事な存在なのだ。

なるほどあれはバランスなのか、と、その時なんとなく理解しました。自分は「いちごがケーキの邪魔をしている」と思ってきたけど、あれは邪魔じゃなくてバランスをもたらさんと起用され、人々はそれを受け止めているのか、と。

フルーツぎっしりもおそらくその延長にあるのだと思います。甘すぎないお菓子や酸っぱすぎないフルーツを好む人にとっては、その両者が合わさることで完全体となるタイプのケーキこそ、バランスの取れたものなのではないでしょうか。そう考えると、自分も質問者さんも「タルトはOK」なのも理解できます。ド甘い生地とチェリーなどの酸味くっきりの組み合わせという緊張感のあるバランスは、生フルーツたっぷりケーキとは似て非なるものです。似てないか。逆に、甘さ控えめの生地にいろんなフルーツがてんこ盛りで載ってます的なタルトは、タルトであってもタルトではない感じしますよね。

そういう僕ですが、フルーツ大福は普通の大福よりむしろ好きです。なぜ好きなのかを考えると、そっちの方が「食べやすい」からだと思い至りました。好きな理由に「食べやすい」が入り込むということは、すなわちそれ(大福)が根本的にすごく好きなわけではない、ということを意味します。そう考えるとフルーツぎっしりケーキもその存在意義の一部として、あまりケーキが好きでない人のためのケーキ、という役割も担っているのではないでしょうか。

9か月

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