人の性格というものは、そう簡単に変えられるものではありません。その時は反省し、「今度こそ変わってみせる」などと本人が思ったとしても、残念ながら繰り返すのが人間というもののような気がします。

 ことに他責思考となると、自分がどんな状態に立たされようと、「窮地に立たされる」という気分を味わわないために、余計に誰かに責任を押しつけるわけですから、極端に言えば逆ギレして腹を立てることはあったとしても、その後は意外にスッキリして心晴れ晴れ、「あー、ムカついた」で終わってしまうことが多いでしょう。そういう人が、「いや、待て。私はあの人に自分の責任を押しつけたのではないか」などと我と我が身を振り返り、ましてや反省するなどということは、実に稀なことではないでしょうか。たとえば、自動車の運転をしていてブレーキを踏み間違えた結果、人の生命を奪うような事故を起こしてしまったとしても、「車に欠陥があった」と言い張った人がいましたね。あの方の年齢を考えると、老化現象と考えられないこともありませんが、もともとが「他責思考」の人だったのではないかと考えることも出来るのではないでしょうか。見苦しいほどに悪あがきをする場合も少なくはないのです。

 何かに責任を負うこと、それによって人に頭を下げなければならないことなど、プライドが許さない、いてもたってもいられないことなのでしょう。

 「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな社長が悪いのだ」

 という言葉があります。これは、社長という立場の人にとっては、一見、自分に関係がない、手が届かないことであると思われることであっても、すべての責任を負うべきである、という戒めのために言われたことばという話ですが、そのうち、それを逆手にとって、

 「ハイハイ、郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんなワタシが悪いのヨ」

 と、他責思考の人間に向けて、諦めと冷やかしをこめて言われるようになりました。

 それでも、他責主義者は「そうだそうだ!」と開き直るのが関の山かと思います。または、内心で「またやっちゃった」と思ったとしても、決してそれを表には出しません。出せないのでしょう。妙ちくりんなプライドですが、とにかく「頭を下げる」ことが嫌なのです。

 つまり、そういう人間は滅多に変わるものではありませんから、身近な存在にそういう人を見つけたら「郵便ポスト」の気分を味わうか、または関わりを持たないようにした方が得策かもしれませんね。たとえ周囲から人が離れていったとしても、そういう人は自分が悪いのだとは気付かないものです。

7か月

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