お望みなら、対処法をお伝えしましょう。それは歴史であり心理学であり、あなた自身の問題です。
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「20代で彼女がいないのですが、仕事を優先して働き続け、時に人生楽しいのかと悩むときがあります」
ご質問で省略されている文章は「20代で彼女がいれば人生は楽しいはずだ」という文章でしょう。さて、この文章は本当ですか?
対極にあたる言葉として「結婚は人生の墓場である」という言葉はご存知でしょう。すなわち、どういうわけか結婚してもそれなりの人が不幸なようです。他方、質問者さんのように「彼女がいないから不幸なのだ」と考える人もいます。実に興味深いことだと思いませんか?
ここからわかるのは、人間は「◯◯さえあれば幸福だ」と考えがちです。
お金があれば幸福でしょうか?ーーしかし多くの人は大金持ちの孤独を不幸と考えます。
才能があれば幸福でしょうか?ーーしかし多くの才能は年とともに衰え、本人が一番苦しむのです。
外見が美しければ幸福でしょうか?ーーなにをいいますか。外見ほど年齢に弱いものはそうないものです。
以上あげたお金、才能、外見があって悪いとは私も思いませんし、それと不幸は直接関係しません。いっそのこと、以上あげた性質と幸福と不幸は別ものだと考えてはいかがでしょう。つまり、貧乏だけど幸福な人、才能がないが幸福な人、醜いが幸福な人、そして彼女がいない幸福な人は当然考えられるのではないでしょうか。未婚の偉人をあげよと言えば哲学者カントも挙がります。
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ですが、質問者さんはお金でも才能でも外見でもなく彼女を挙げられました。これはよくよく見るととても奇妙な質問なのです。考えてみてください。中世の武士は「彼女がいない」と嘆くでしょうか。お金がないとは嘆くでしょう。合戦には資金が要ります。才能がないのも嘆くでしょう。武士たるもの戦いの才能がなければ。しかし彼女?
武士でなくとも、貴族でも町人でも農民でも漁師でも、一昔前の人々なら「彼女」をうらやまなかったでしょう。かつて結婚は家のためにするもので、個人のためにするものではなかったのですから。
もし昔の人が「彼女がいない」と嘆いたなら、周囲の人々は「そんなに君の家は力がないのだねぇ」とその人の家のことを憐れんでくれるでしょう。その人自身ではなく。
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さて、こういうお話をするとこうお考えになるかもしれません。「それは昔の話であって今の話ではない。私は現代人だ」。なるほどなるほど、では現代の日本の未婚率をどう理解すればいいでしょうか。たとえばこういう記事がございます。
https://www.axa.co.jp/100-year-life/health/20190522/
この記事によると2020年に男性で28.25%、女性で17.81%が生涯未婚であるそうです。ではこの人たちはみな不幸であり、伴侶がほしいと言いながら亡くなるのでしょうか?
さて、この人間心理に最近踏み込んでいるのが男性学です。
「非モテ」からはじめる男性学 (集英社新書) https://amzn.asia/d/4kJwzmF
ぼくらは本当にモテないから苦しいのか?
実に興味深い問題提起だと思います。この本はモテないことに悩む「ぼくらの非モテ研究会」の参加者の語りと、この会の主催の西井の分析が語られています。
恋人ができるということは「非モテ」男性にとって非常に大きな意味を持つ。恋人ができさえすれば自分の不遇な状況は挽回されるのではないか……という考えが展開されていくのである。非モテ研ではこの独特の思考を〝一発逆転〟と呼んでいる。なぜ恋人のできることが挽回することにつながるのか。(前掲書 73ページ Kindle版)
以降、この一発逆転の内容が紹介されます。曰く、彼女さえできさえすれば、それまでのあらゆる挫折-たとえば希望する大学に行けなかったこと、大事な試合に負けたこと、周囲に”男らしくない”とからかわれたこと-などが一切帳消しになるという……端的にいえば「信仰」です。
私の周囲の妻帯者を見渡せば想像できますが、交際は関係の始まりであって終わりではありません。なのにどういうわけか多くの男性が、彼女ができるという「一発逆転」を夢見ているらしいということが上記の本でわかります。
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さあここで私の最初の問いを思い出してください。なぜ彼女がいないと不幸で、彼女がいると幸福なのですか。質問者さんは上記当事者グループの人たちよりは浅く「信仰」と関わっているかもしれません。あるいは同程度かもしれません。
どちらにせよ、これは現代の、疑いなく現代の男性固有の悩みであり、率直にいって根拠がないものです。
平安貴族は歌で恋人を選んだとか、フランスの騎士は勝てる試合であっても一騎打ちをしただとか、戦前-戦後直後の日本では太っていることがお金もちの象徴で幸せの象徴であったとか、そういう風に「幸福のイメージ」は時代によって移り変わります。上記の「彼女ができれば……」という問いも同じように、現代特有の考えです。
さて、歴史学者としてしめましょう。平安貴族が歌で恋人を選んだのと同じぐらい、彼女がいることと幸福は関係がありません。なぜかそれを関連付ける人が現代には一定数いますが、実際に幸福になった人を私は知りません。私が知る限り、幸福な人は一人の時から幸福であり、結婚後も、なんなら離婚後も変わらず幸福なのであります。
好みはある程度自由になります。あえて古いお酒をたしなみ、骨董品を愛し、古い音楽(クラシック)を愛でる奇妙な人々が示すのは、好みは選べるということです。
質問者さんは変わらず「彼女がいれば……」という幸福を選びますか? 選ぶなら、徹底的にやることです。ただ当然ながら、選ぶなら「彼女がいたなら」と、その次の計画も想定しておいてください。そして前掲書の中にはかなりの人が「彼女がいたなら」という考えから降りる人が出たことも共有しておきましょう。これこそ、考えに対する対処法であります。