そう言われると僕も当たりを引いたことがないですね。
ハムはまだ、吟味して選べば好みのものになんとかたどり着けます。チャーシューは僕がハムほど全力で吟味していないだけの可能性はありますが、必ず外すので買わなくなって久しいです。
ラーメン屋さんのチャーシューは、キアイ入ってるのもそうでもないものも、少なくともマズいってことは無いですよね。あれを再現することがそう難しいわけでもないでしょうに。不思議です。
国内メーカーのハムが独特なのは、美味しんぼ的世界観においては「利益優先で品質を犠牲にしているから」ということになっています。しかし僕はそれは少し違うと考えています。
ある中堅ハムメーカーの技術者さんに話を伺ったことがあります。その方は過去にドイツで修行され、そこで賞も取られました。しかし、
「ヨーロッパのハムは、決しておいしくはないですからね」
と言い切っていました。この発言にはいくつかの異なる解釈がありそうですが、少なくともその方が、日本人に好まれる味を、誇りを持って作られているのは確かだと思います。
それで言うとチャーシューの場合、
「ラーメン屋さんのチャーシューは、決しておいしくはないですからね」
ということになるのでしょうか。いやあ、さすがにこれは受け入れ難い。しかしこれを受け入れないと、我々は再び美味しんぼ的解釈を受け入れざるを得なくなります。
かつてお中元お歳暮の文化が盛んだった頃、ハムとチャーシュー一本ずつのセット、みたいなものが贈られてきた記憶があります。そのチャーシューはまさに「醤油味のハム」でした。
もちろんそれは製造ラインをある程度共通化するためでもあったのかもしれませんが、そこには「誇り高きハムメーカーがラーメン屋のチャーシューごときと同等なものを作るわけにはいかない」みたいな矜持もあったような気がします。
こだわりと言うべきか呪縛というべきか、その思想が形を変えて今も残っているのではないかと想像します。そこに、味は濃い方が売れる、という現代的なマーケティングの結果として、甘くてどろっとしたタレが追加されたのが今の状況ということです。今さら後戻りはできないのかもしれません。