ご質問ありがとうございます。あなたの文章を読んで私が個人的に思ったことを書いてみたいと思います。限られた文字数からの情報ですので、勘違いや的外れな部分もあると思いますがご了承ください。
まず何より、親に人生を否定されることは本当に深い傷を負うものだと思います。もちろんいじめやパワハラもそうです。心は目に見えませんが、確かに傷つきますし、欠けたり壊れたりするものです。いやされる部分もありますが、どうしても残る痛みや傷もあります。お察しいたします。
あなたが詳しく書いてくださった「あなたに好意や厚意を向けてくれる人」との関わりに関しても状況はよく理解できます。あなたと似たような状況に陥っている方は(程度の問題はありますけれど)非常に多いと想像できます。
人との関わりにおいて、その人が語った言葉や行った行動の意味を深く考えてしまい、感じ取ってしまい、その結果として反応がびっくりするほど(嬉しい方にも落ち込む方にも)大きくなってしまう状況です。
ちょっとした言葉で天にも舞い上がるほどうれしくなったり、ふとした行動で地の底にたたき落とされるほどつらくなったりする。そのような状況を乗り切っていくのはかなりたいへんであるし、現実的な苦労も多々あるはずです。
あなたが書いていらっしゃるように「人と関わらなければ」のような気持ちを抱くのも理解できます。このようなアップダウンを繰り返したり、本来なら大事にすべき(そして大事にしたいと思っている)相手に対して酷い反応を返して自己嫌悪に陥るくらいなら、人と会わない方がいいのかもと考えたくなるときもあるでしょう。
私はあなたに「こうすれば解決するよ」という回答をすることはできません。ただ「たとえば」として一つの考え方を書いてみたいと思います。
それは「自分は完全でなくてもかまわない」と思うことです。人からちょっと好意を示されたからといって舞い上がるほどうれしくなるのをやめたい……と思うかもしれませんけれど、そこを少し緩和するのです。つまり「やわらげる」わけですね。何かの拍子で天にも昇るほどうれしくなったときに「ああ、私はいつものようにうれしくなってるなあ」といったん自分を受けとめる。「こんなふうにうれしくなっちゃったら、いつものようにまたあとで大失敗するからやめなくちゃ!」と無理に思わない。無理に自分を「理想の自分」に矯正しようとしない。いったんは、自分をそのまま受けとめる。その上で「まあ、ちょっと気を付けた方がいいかもなあ」くらいに留めておく。実際に「気を付ける」ことができなくてもいいのです。「気を付けた方がいいかもなあ」と言葉にするだけでもOKです。
また別のタイミングで、いつもは親切なあの人が冷たい態度を取ったときに「どーん」と落ち込んでしまい、もうすっかり気分が暗くなってしまって、ああ、もう自分はこれじゃだめなんだ、こういうのをやめたい……と感じるかもしれません。でもそこを少し緩和します。「あーあ、まためちゃめちゃ落ち込んでるなあ、自分。これ、しばらく続くぞ。自分はこういうところ、あるからなあ」といったん自分を受けとめる。「こんなふうに落ち込んじゃだめだ、だめだ、だめだ。人に依存するんじゃなくて自立するんだ!」と無理に思わない。無理に自分を「理想の自分」に矯正しようとしない。いったんは、自分をそのまま受けとめる。その上で「そうだそうだ、考えを先走らせてあの人に酷い仕打ちをする……なんてことがないように気を付けないとなあ」くらいに留めておく。実際に「気を付ける」ことができなくてもいいのです。ワンクッション置いて、自分を受けとめて、その上でちょっとだけ意識する。
「そんなことを繰り返しても、自分はまったく改善されてないし、問題は解決してない!」と思われるかもしれません。実際のところ「完全な解決」はしていません。ただ、ほんのちょっと「緩和」するだけです。その「緩和」自体すら、うまく行かないかもしれません。でも、それでもいいのです。
自分にはどうしようもない感情というのは、簡単にどうこうすることは難しいものです。特に理詰めで完全に押し殺したり、完全に制御したりすることはできません。ですから、ワンクッション置く。まずはいったんそのまま受けとめる。完全でなくてもかまわない。同じようなことを繰り返しているかもしれないけれど、それも含めて「自分はこういうふうに感じがちだよね」と受けとめる。
それは、言い換えるなら「自分で自分を愛する」ということです。自分で自分を否定したり、自分で自分にパワハラしたりして、無理矢理自分を制御するのは得策ではありません。まずはいったん自分を丸ごと受けとめる。いったんそっと受けとめた上で、ほんのちょっとだけ、次の一歩を進めてみる。
たとえば足に怪我をして包帯を巻いている人に向かって「走れ」とはいいません。それは足に怪我をしているのが目に見えるからです。心のあり方はなかなか目に見えません。だからつい、自分の心の状態とは無関係に、自分はこうすべき・こうなるべき・こうしなくてはならない・これではいけない・こうしろ!と考えがちです。それでうまく行けばいいのですけれど、うまく行かないのであれば、別の方法を考えた方がいいですね。うまく自分の心が動かないとしたら、まずはいったんそのまま受けとめてあげるのは悪くない方法ですよ。
* * *
以上、「たとえば」ということで、勝手なことを申しました。もしもあまりあなたにあてはまらなかったらごめんなさい。
ご質問ありがとうございました。
* * *
関連するかもしれないページにリンクします。
◆大切な人の嫌なところが見えてきたらどうしたらいいか(コミュニケーションのヒント)|結城浩
https://mm.hyuki.net/n/n09a0c0e624ff
◆愛する人に疎ましがられて生きる気力を失っている|結城浩
https://mm.hyuki.net/n/nacbf9bd73864
◆自分の感情との付き合い方(心の健康)|結城浩
https://mm.hyuki.net/n/naf0a49f2e8d6
◆生きている意味と自分に与える猶予(日々の日記)|結城浩