なぜ英語に屈折劣等比較がないか? これは素朴な疑問というよりは、かなり高度な疑問とお見受けしました。なかなかの難問です!

回答者は日本語母語話者として初めて英語を学習し、形容詞・副詞に「比較」という確立した文法範疇が存在してることを知ったときには驚きました。とりわけ「比較級」については、日本語では単に格助詞「より」を用いて、例えば「太郎は次郎より背が高い」のように言えばよいだけです。日本語にとっては比較が特別な文法項目という意識はありませんでしたし、今もありません。

ところが、英語では "Taro is taller than Jiro." などとなり、格助詞に相当する than 「より」の役割は理解できるにせよ、なぜ tall が taller にならなければならないのか、不思議に感じたことを覚えています。

比較級について、形容詞・副詞によっては、とりわけ音節数の多い語で、-er を語尾に付加するのではなく、more という語を前置するという区別があることにも、英語学習上戸惑った覚えがあります。英語の歴史の観点からは、-er/more 問題も興味深い話題なのですが、今回の趣旨からは外れますので割愛します。また、as ... as の「同等比較」や、-est/most による「最上級」も関係する話題ではありますが、今回は「比較級」の議論に限定します。

さて、私自身の英語学習が進み、英語の比較(級)の表現には慣れてきました。ところが、もう1つ衝撃がありました。比較といえば「優等比較」が当然と思い込んでいたところに、less なる副詞を用いた「劣等比較」なる表現が英語にあると知って、さらにたまげました。"People eat less fat to be healthy." や "Would you make less noise?" など、英語としての意味は分かるけれども、和訳するのに困ってしまう文に出会う機会が増えてきたのです。「劣等比較」とは、なんとけったいな文法項目か、と思いましたし、今でも思っています。うまく日本語にならない表現の代表格ですね。

以上、回答者個人の語学体験からの感想を述べてきましたが、言語学的にみると、「比較」という範疇が文法化されていること自体が、とても興味深い現象のように思われます。英語の比較に関する限り、-er/-est を用いる「屈折比較」と more/most を用いる「句比較」があり、いずれを用いるかという問題は上でも触れたとおり歴史的にも非常におもしろいテーマなのですが、このように表現上の選択肢が複数あること自体が、英語において「比較」という文法範疇が盤石に定着していることを物語っています。

このようにデフォルトの「優等比較」が盤石であるからこそ、その発展版として「劣等比較」なる概念・用法も生まれたのではないかと考えられます。英語の最も古い段階である古英語期より less (そして least) を用いた劣等比較の例は普通にありますので、さらに遡って、それがいかにして発展してきたのかを探ることはできません。しかし、古英語の段階で、すでに less の句比較はあるけれども、対応する屈折比較は一切ありませんでした。比較言語学的にさらに遡っても、屈折比較はなかったようです。

つまり劣等比較はあくまで優勢比較に基づく派生物だったのではないかと推測されます。副次的な派生物である以上、形容詞・副詞の基体との意味的な密接度が強い -er 屈折語尾を用いる(屈折比較)のではなく、意味的な距離感を示唆する less の前置(句比較)に拠ったということは、おおいにありそうです。

劣等比較については、他の印欧諸語でも同様の傾向が見られます。例えばドイツ語やオランダ語などのゲルマン語派の言語、フランス語やスペイン語などのロマンス語派の言語でも、劣等比較のための特別な語尾は存在せず、句比較で対処しています。

なぜ多くの言語で劣等比較の屈折形が発達しなかったかは、別途考える必要がありそうです。人間の認知のデフォルトがポジティヴ思考だとすれば、劣等比較は単純にその統語的否定により表現できるため、専用の文法形式が発達しにくかった、という考え方も可能かもしれません。ただし、この点は私も詳しく調べたことはありませんので、あくまで参考意見です。

関連して、回答者も出演している YouTube 「いのほた言語学チャンネル」より、「英語の比較級・最上級はなぜ多様なのか?」 https://www.youtube.com/watch?v=zDSa54Y9xqw をご覧ください。

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堀田隆一さんの過去の回答
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