「自分に文才があるかどうか」と「自分が物書きに向いているかどうか」とは、よく考えると異なる問いですし、「どうすればわかるか」に明確な答えを出すことは難しいですけれど、やるべきことは明確です。それは実際に文章を書いてみることです。
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「自分に文才があるかどうか」という問いが何を意味しているかをよく考えてみます。文才というのは、たとえば良い文章を書く才能くらいの意味だとしても、じゃあ良い文章とは何だろうという話になり、何とも明確に定義できない問いのように感じます。
確かに「あの人は文才がある」などと評する場合はあるでしょうし、「あの人は良い文章を書く」という表現もよく使われます。でも、同じ人に対して「いや、あの人は文才がない」という意見をいう人もいるでしょう。文才がある/ないのようなデジタルな判断はできないでしょう。
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「物書きに向いているかどうか」も同様です。何をもって物書きに向いているといえるのかは判然としません。文章が嫌いで嫌いでまったく一文字も書きたくないという人は確かに向いていないかもしれませんけれど、それはあまりにも極端な場合です。
そのような極端な場合を除けば、文章を書かないうちから「物書きに向いているかどうか」を判断することはほぼ不可能だと思います。最初は文章を書くのが苦手だと思っていたけれど、しばらく書いているうちに(あるいは仕事の都合上、書かされているうちに)コツをつかんできて書くことが好きになるという人もたくさんいそうです。
人生のフェーズによっても変わります。若いうちは感受性や自意識が強すぎて文章を書くのが気恥ずかしかったり、自分の書いたものに対して批判的な気持ちになることが多かったりして「自分は物書きはできないな」と思っていた。しかし、ある程度の年齢を重ねたあとで、ふと文章を書いてみようと思って書き始めて物書きになるという人も少なくありません。
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これは勝手な想像ですけれど、あなたは文章を書くことがそれなりに好きで、もしかしたら自分は物書きになるのかも(物書きになりたいかも)と思っていらっしゃるのではないでしょうか。でも、文才がないのにそんなことに取り組んでもと思ったり、自分に向いていないことをやってもなあ、と考えている……と、そんなふうに想像しました。
ここで私の最初の段落に戻りますが、実際に文章を書いてみるのがいいと思いますよ。誰に見せるでもなく、誰に言うでもなく、ともかく文章を書いてみる。題材は何でもいいですし、長さもどれだけでもいいです。とにかく書いてみる。書いてみて、たいていはうまく書けないものですけれど、まあそれでもやってみるのです。
それをおもしろいと思ったら続けて書いてみる。人に読んでもらいたいという気持ちがあるなら、誰かに読んでもらう。あるいはネットで公開してみる。あまりピンと来なかったら、ストップする。そんな感じではいかがでしょうね。
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私は現在職業的物書きをしていますが、「自分に文才があるか」と考えたことはほとんどありません。また「自分が物書きに向いているか」と考えたこともありません。大学に入るころまでは、自分は国語が一番苦手な科目だと思っていました(実際、学校の国語の試験は苦手でした)。
でも、ひょんなことからプログラミングの雑誌に投稿するきっかけがあって、そこから原稿を書くようになりました。そしてまたひょんなことから本を書くきっかけがあって、本を書くようになりました。その「きっかけ」はある意味偶然というかたまたまのことですけれど、大事なのは、そのときに「ちょっと書いてみよう」と思ったことです。実際に書いてみた。思ったことを実際に文章という形にしてみた。そういう具体的なアクションがありました。もしも、きっかけがあったとしても、自分が何もアクションを起こさなかったら、何も起きなかったと思います。
ということで、想像を交えながら書いてきましたが、私のおすすめする行動は「実際に文章を書いてみること」です。
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