ラーメンマニアの方は「麺とスープの相性」についてよく言及されますね。
一般にあっさりしたスープには細麺が合うとされています。他にもちぢれ具合や加水率などで相性はいろいろです。中細でツルツルシコシコして少し縮れたいかにもラーメンらしい麺は、ある程度万能といったところでしょうか。
この相性の話においては、麺がどれだけスープを「持ち上げる」か、ということもよく問題とされます。これが重視されるのは、ラーメン丼をテーブルに置いたまま、片手に箸、片手にレンゲを持って「麺を啜る」「スープを飲む」という2つの行動を完全に独立させる食べ方が一般的になったためではないかと僕は考えています。
アジア圏で一般的な「レンゲの中にミニラーメンを作成して啜らずにスルリと食べる」という食べ方なら、「持ち上げ」は問題になりません。しかし日本のラーメン界ではこれはカッコ悪いと見做されているようです。
昔の日本映画を観ていると、かつての日本人は(地域性や業態差もありそうですが)ラーメン丼を左手で口元まで持ち上げ、レンゲを使わずに食べるのがむしろ主流だったように見えます。この場合も「啜る」と「飲む」がシームレスにつながるため、「持ち上げ」はさほど問題になりません。
僕はこの二通りの食べ方が好きです。高級寄りの中華コースの締めの麺やフォーなどを目の前にすると、「ここでならやっても恥ずかしくないぞ」と、嬉々としてレンゲの中にミニラーメンを作成します。
普通のラーメン屋さんでは、左手で持ち上げやすい形状やサイズの丼でラーメンが出てくると、それだけで心の中で☆がひとつ増え「リピ確定」の浮かれた気分になってしまいます。実にチョロいですね。
さて沖縄そばですが、これにはご存知の通り、沖縄独特の太麺を茹で置きしたものが使われます。確かに「ごわごわもさもさ」しています。コシはなく、硬さだけがあります。
沖縄そばのスープは、ダシはしっかり効いているもののあっさりしていて粘度もなく、一般的感覚としては「細麺が合う」ということになるでしょう。もしくは「ツルツルシコシコの普通な麺の方がまだ合うのでは?」と感じても何の不思議もありません。
東京某所の、本場そのままと言っていい沖縄そばを提供するある店では、麺がこのクラシックタイプのものと生麺の両方が用意されており、そのどちらかを選ぶことができます。生麺は比較的一般のラーメンの麺にも近いものです。
一度、生麺の方で食べたことがあるのですが、確かに違和感なく、麺とスープの相性という面でも優れていると感じました。有り体に言うと料理の完成度としてはこちらの方が上なのではないか、と。もっと有り体に言えば、こっちの方が客観的にはおいしいのでは? とさえ思いました。
ところがそれは、何だかつまらなかったのです。生麺タイプの沖縄そばは、言うなれば普通にラーメンであり、おいしいラーメンは世の中にゴマンとあります。沖縄そばは有るところにしか有りません。
そもそも沖縄そばの丼、と言うより鉢は、片手ですんなり持ち上げられるタイプであり、僕が知る限り沖縄では、持ち上げて食べる昭和の文化がまだまだ色濃く息づいています。
ごわごわの麺をもそもそと噛み締めながらシームレスにスープを啜るそのおいしさは、ラーメンとしての最適解からは遠く離れていますが、沖縄そばにしか無いおいしさだと思います。僕はおそらくもう二度と、生麺を選択することは無いでしょう。
ただしここでひとつ問題があります。沖縄そばにおける生麺への移行は、進化のひとつです。実際沖縄でも生麺で提供するニューウェーブなお店も結構増えてきていると聞きます。
これは沖縄そばに限らずいろいろな料理で言えることですが、「昔のままで良い」という態度を表明することはすなわち「もう進化しなくていいよ」と言っているようなものです。改良し、進化を目指している作り手の視点から見ると、これは残酷な態度でもあります。
ことに沖縄そばにおいては、ラーメン的な最適解に寄せることでより多くのポピュラリティーを獲得できる可能性が高いような気がします。
この問題に関しては僕自身、常にジレンマを抱えており、答えは出せません。
ただ確実に言えることは、(クラシックな)沖縄そばは、丼を持ち上げて食べるととてもおいしいですよ! ということです。スープと共にごわごわの麺を啜ると言うより頬張る快感、ワシワシと噛み締める充実感、それが無味を感じさせる段階まで咀嚼を進めたタイミングで「おかず」のように口に運ぶ甘辛い豚肉、すかさず後追いでまた口に含むスープ……猛烈に食べたくなってきました。