「学生が数学を学ぶ目的は何か」という問いを考えようとしたときに、生徒さんのニュアンスを知りたくなります。塾講師であるあなたに生徒さんが尋ねてきているのは「私が数学を学ばなければいけないのは何か」というニュアンスではないかと想像します。あるいは「学校に通って試験を受けてまで数学を義務的に教えられることになっているのはなぜか」ということでしょうね。

私はその疑問に対する「正解」を持っているわけではありませんけれど、私がいつも感じていることを書いてみたいと思います。

最初に思いつくのは「数学は言葉だから」というものです。「数学を学ぶのはなぜだろうか」と疑問に思う人がいても「言葉を学ぶのはなぜだろうか」と疑問に思う人(さらには先生に尋ねる人)は少ないでしょう。言葉の学びに意義があることや、役に立つことを知っているからです。

語彙が豊かな人は、自分の思考や感情や意見をきめ細やかに表現することができます。また言葉を通じて、他の人の思考や感情や意見もより的確に受け取ることができるでしょう。さらには難解な文章を読みこなしたり、多くの人が誤解しがちな文章を正確に把握することができるかもしれません。

さらにいうなら、「役に立つ」という実用的な面だけでもありません。言葉を学ぶことを通じて多くの楽しみを享受することができるでしょう。繊細な歌詞が持つ意味を味わったり、いにしえの人の思いを現代で受け取ることもできますね。

ここまで話したことは、日本語や英語などのいわゆる自然言語としての「言葉」ですけれど、その言葉が持つ役に立つ側面や、楽しみの側面などはすべて、数学という「言葉」にも当てはまるものだと思います。

数学的な語彙をたくさん理解しているならば、自分が思い描いている数理的な思考をより適切に、正確に、そして一般的な形で表現することができるでしょう。数理的な思考というのは、ものの形、量、数、比較、変化といったものすべてのことです。また、他の人の数理的な思考についても的確に受け取ることができるでしょう。

さらにいうなら、数学もまた「役に立つ」という実用的な側面だけではなく、楽しみ・喜び・美しさという側面もたくさん持っています。最近では特にコンピュータの発達により、数学的な対称性や周期性や規則性を持ったアート作品もありますね。もちろん、アート作品というそれらしい形になっていなくても、数学的な概念の中にはそれ自体が美しく感じられるものが無数にあります。

私は「数学ガール」シリーズという数学読み物を書いていますが、そこで頻繁に登場するのが《二つの世界》です。一見、まったく異なる分野、違う世界の二つの概念が、数学を通じてつながる瞬間は感動ものです。もちろん、物理学と数学の関連も非常に興味深いですね。物理学で現れてくる現象を数学的に記述する。そして数学の世界で成り立つ定理によって得られた結果を物理学の世界に戻すことによって、物理学的な現象を予想したり、予言したりすることができます。ここには深く、不思議なまでの感動があります。

中学校・高校で学ぶ数学は基本的なものが多く、ドリルや計算問題みたいなニュアンスが強くあります。またどうしても単元ごとに分かれて学ぶために、複数の世界をつなげるような体験を授業で得る機会は少ないかも知れません。さらには試験、試験、試験、テスト、テスト、テストとたくさん押し寄せてくるので「数学とは問題を解くこと」のように認識してしまう生徒さんも非常に多いでしょう。

でも、言葉を学ぶことが試験問題を解くためではないように、数学を学ぶことは試験問題を解くためのものではありません。

実際、社会に出たあとで複雑な現象を把握したり理解したりする必要が生じたときに「ああ、ここで数学を使うことになるのか!」と驚く人はたくさんいらっしゃいます。そのときに、必要な学びをできるだけの数学の力は持っておいてほしいなあと思います。

中学生・高校生の段階では、そもそも自分が将来どんなふうに生きていくかのイメージを持つ機会は少ないので、直接的に「数学がこんなふうに役に立つ」ということを示すことは難しいかも知れません。いまならば「コンピュータやスマートフォンやAIでも数学が使われるよ」と説明したくなりますが、それで数学のよさが伝わるかどうかは難しいところです。逆に「コンピュータが発達するから数学なんていらないのでは?」と勘違いする人もでてきそうですね。

ということで、私の現在のお気に入りの答えは「言葉を学ぶことが大切であるように、数学を学ぶことは大切」というものです。

この他にも、私のお気に入りの答えとしては「音楽を学ぶことと同じように、数学を学ぶ」というものもあります。これは特に「どうせ自分は数学者になるわけじゃないし」と考える人への答えになります。たとえ作曲家やプロの演奏家にならなくても、音楽に触れ、音楽を味わい、おりあるごとに音楽を楽しむことは可能です。自分なりに、歌を歌い、楽器を鳴らし、音楽に耳を傾けます。数学もそれと同じだと私は思います。

以上、話があちこちになりましたが回答とさせてください。

2023/08/13投稿
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