個人蔵書のことですね。「万巻の書」を持っていたので有名なのは、後漢の蔡邕であり、彼の蔵書がひとつのピークになっています。もちろん、すべて写本の巻子本で、おそらく(ほとんどは竹簡ではなく)紙に書写されたものでしょう。後の蔵書家のモデルになっているようです。この蔡邕蔵書の数奇な運命については、『列子』張湛注の序に述べられています。
范鳳書『中国私家蔵書史』(大象出版社、2001年)は、興味深い本で、各時代の蔵書状況についてまとめてあるのですが、時代ごとに蔵書家のリストがついており、蔵書規模が分かるものについては書いてあります。それを見ると、魏晋南北朝時代の史料では、一万巻程度のひとが特筆されています。そのなかで、沈約の二万巻、蕭統の三万巻、蕭繹の八万巻というのが眼につきます。
なお、隋の国家蔵書の記録をもとにした『隋書』経籍志に載せる本は、九万巻程度です。 以上の時代の蔵書は、巻子の一巻に、一巻分の内容が書かれており、一万巻というのは、文字通り、巻子一万軸の書物です。多くは、十巻(十軸)ごとに「帙」という袋にいれて収蔵されました。
おっしゃるとおり、木版印刷の普及以降は、蔵書の数も、蔵書家の数も増えて行きます。清朝の蔵書家についても、『中国私家蔵書史』にリストがありますが、そこには十数万巻、数十万巻が普通に見え、康有為なども数十万巻持っていたそうです。
なお、清朝になれば、冊子本が多くなっており、個人蔵書ももちろん冊子が主流で、しかも冊子一冊には数巻分の内容が含まれるので、一万巻持っているといっても一万冊持っているわけではないと思われます。 冊子の普及以後、「巻」というのは実在の本の数を示す単位ではなくなっていますが、それでも常に意識されています。
蔵書家に関心があるのであれば、高橋智氏『書誌学のすすめー中国の愛書文化に学ぶ』(東方書店、2010.9)などをご覧ください。
また正史の話もありましたが、清朝の蔵書家であれば、持っているのが普通でしょうね。もちろん、宋元版が最重要視されましたが、一般の蔵書家であれば、毛氏汲古閣本の『十七史』などを持っていたのではないでしょうか。これは、蔵書家とよばれないような普通の知識階級の家庭にもあったかもしれません。
蔵書家にどのような傾向があるか。個人の蔵書目録で、いまも伝わっているものが多いですが、そういうものを見ると、多くの場合、四部にわたる、ある程度、包括的な蔵書形成を目指すひとが一般的であったようです(「自分は経書は買わない」などというのは非主流、ということです)。
もし漢文を読まれるのであれば、『蔵書紀事詩』と『書林清話』を読んでみてください。興味深い話題が豊富です。